同伴者

老いたれば綿虫の歩にしたがへと
仲間来て綿虫われを見捨てけり

今年はなかなか見ない。

いつもなら12月のはじめ頃となれば庭先でいくらでも見かけたものだけど。
今日散歩の途中でようやく遭遇することができた。風もなく穏やかで綿虫にとっても人にとっても最高の日和なのだが、一匹だけまるで斑猫(道教え)のように先導してくれるのでしばらくついてゆくことにした。もちろんその歩みは緩慢で、坂道を行くには老人にとってはちょうどいいペースメーカーのようである。
やがてさらにもう一匹の綿虫が現れると、やっぱり仲間の方がいいとでも言うようにふっと道を逸れていった。
しばらくの同伴をありがとうね。

汗のかき終い

谷筋の風に綿虫生まれけり

逆光を浴びながら浮かび上がってくる。

信貴山の麓を下る谷筋に生まれる上昇気流にのって次から次に綿虫がわいているようだ。
手にとればつかまる高さまで浮いてくるが、へたに触るとたちまち死んでしまいそうで見るだけにしておく。
今日の数からしていよいよ本格的な冬の到来だと思われるが、まさに明日明後日の雨の後は急に冷え込むのだという。
二十度をこえる穏やかな日は今日でお終いというので、午後からは力仕事でおおいに汗をかいておいた。
あっというまに十一月が過ぎて、一年の最後の月がもうそこにまで来ている。
気分的にもあわただしい月だが、明日からの雨は穏やかに過ごせそうである。

雨上がり

人肌にふれて綿虫大往生

戯れでつかまえようとしてはいけない。

帽子で取ろうとして起こした風は、人間でいえば風速40メートルくらいの衝撃を受けてしまいそうにか弱い。両手で捕まえれば時速100キロくらいの車でぶつかれたような衝撃が走りそうである。
まして、両手などに受けて人の体温に触れようものならそれはもう火傷するにちがいない。
実際に、つかまえたときにはすでに死んでいた経験がある。
ほんとにはかない生きものである。だから風のある日に目撃することはまずない。
雨上がりの今日、夕方になってはじめて綿虫が浮遊するのを見たが、数は多くなかった。

覚悟

綿虫の雨にせかれて出でにけり

朝に今年初めての綿虫を見た。

おりしも予想されていた雨が降り出して、まるでその雨に促されて出現してきたような感じだ。
予想では明日は気温12度にしか達せず、しかもかなり荒れる日になるということである。
たった一匹の小さな虫だったが、冬に対する覚悟を迫っているような現れ方である。

低く漂う

鼻先へゆるり綿虫舞ひにけり

雨の前日、群れからはぐれた綿虫が庭に浮遊していた。

見るともなく眺めていると、当てがあるにはみえない風にふわふわと漂っていて、やがて顔、鼻の近くまで流れてくるとしばらくまたふわふわと漂っている。
こんなに近くまで寄ってくるのは初めてのことで、よく見ると漂うようでいて実はあるかないかの小さな羽をしきりに動かしているのだ。風がないので滞留時間は長く、じっくり見せてもらった。
虫が低く飛ぶのは雨の前兆だと聞いたことがあるが、もしかしてあれはそういうことだったのかもしれない。

二十度越え

傘開く間もなく去りし時雨かな

天気が心配だった今日の吟行。

句会終了まで汗かくくらいの陽気な天気に恵まれた。
途中木の間よりぱらぱら雨が落ちてきたが、傘を開くまでもなくあっけなく立ち去ってくれた。
風鎮めの神らしく龍田の大神は穏やかな日和を恵んでくれて、風もないので紅葉の散るゆくさまは見られず、境内をふわふわ綿虫が飛んでいる。

綿虫や龍田峠の越えがたく

龍田古道は、風もないのに銀杏がはらはら散るばかりであった。

淡雪か

綿虫や日向日陰のあるかぎり
日の影をよぎり綿虫流れゆく
山に日の落ちて綿虫生まれけり

そろそろ綿虫の飛ぶ季節。

いつもの散歩道、日が差したと思ったらぽっと浮かび、光を失えばまたその姿も見失う。
手に取ろうとすれば、ふっと取り逃がし、いつの間にかどこか手の届かぬ方へ。

綿虫は日が傾いた夕方に見ることが多い。日が沈めばいったいどこへ行くんだろう。