放射冷却

薄氷やからんくるくる空回り

如雨露に張った水に薄く氷が張った。

指で突けば崩れるていどの、厚さにはむらがあるようで、均一でないところが春の氷らしい。
いっぽうで外水栓は今年何度目かの凍結となった。
昼間は風もなく気温も上がったようであるが、春まだ浅し、ということだろうか。

大過なく

水棄てて薄氷だけの器かな

矢羽根のようにも見え、針のようにも見える氷が張っている。

外に置いた器はみぃーちゃんの飲み水を容れるものである。手に持ってゆすればさらさら動くようである。こういう場合は零下一二度の朝であるが、水を棄てても器にしっかり残っているときは零下四五度の日である。
明日からは寒の戻りもゆるむと言うから、それはそれで結構なことだが、天気はぐずつくそうでこれはこれでまた気が重い。
とまれ、天気に愚痴を聞かせているうちは大過なく生きている証拠と思って体を慣らしていくほかない。

寒いが日が伸びた

氷室社の手水あふれて薄氷
手つかずの森はすぐそこ春の水

奈良町、奈良公園の水という水はすべて凍っている。

東大寺前の鏡池は文字通り氷面鏡となって、松落葉を閉じこめている。
鹿たちの沼田場も凍りついて、春日の森から流れてくる水はふだんから多いようであるが、その一部も氷が張って鹿はその隙間の水を飲んでいる。
薄氷、春の水と季語としては春のものだが、奈良は真冬の底にある。
何とか春を見つけようと二月堂に向かったものの、修二会の準備作業も今日やっと始まったばかりで、春と言えば二月堂下の屋敷の塀越しにいく粒かの紅梅を発見したくらい。
修理を終わり、三年ぶりかで帰ってきた不空羂索観音さまにお会いしたが、残存のお堂としては最古の堂は底冷えがして10分とはいられないくらい。

それにしても日が随分と伸びたものだ。
吟行から帰ってきても外は十分に明るい。

寒波寒波

荒鋤の田の面累々薄氷

春の雪が解けて田の土は真っ黒である。

切株はまだ完全に鋤込まれてはおらず荒鋤のままだが、その窪み窪みに氷が張っている。
氷が張らなくなって、虫が這い出るような頃ともなると、あらためて田起こしが始まるのであろう。
ただ、田植えが遅い盆地にあっては、その田起こしの時期も定まらないようで、毎年気がつけばいつの間にか終わっているような感じがする。
いずれにしても、この寒波が終わり、何度か寒暖を繰り返しながらやってくる本物の春が待ち遠しい。

流れる川は凍らない

大淀の湾処吹かるる薄氷

通常は「うすらい」と読む。

掲句は下に置いたので、「いすごおり」と読むことになるが。
寒が明けると氷がやせて薄くなったり、氷が張っても寒にくらべて薄くしか張らなくなる。その風情を言うわけだが、取りかかってみると意外に難しい題である。
なまじ取り合わせで詠もうにも、なかなかしっくりくるものが浮かばない。かと言って、一物仕立てというのも腰をすえた写生なくてはとても適いそうもないし。

結氷

薄氷の漂ひそめし岸辺かな

今朝は久しぶりに氷が張った。

氷と言ってもいわゆる春の薄氷(うすらい)で、日が昇ればすぐに解け始めるので、指ではじいただけですぐに漂い始める。
今週の半ばにはまた雪かもしれないという予報が出ているが、今年はもう氷が再び厚く張ることがないように祈りたい。

ところで、今回の大雪では以前に住んでいた東京西郊の町で車庫の屋根がつぶれた家が続出したという話だ。にわかには信じがたい話に驚くばかり。今週は無事にやり過ごしてもらいたいものだ。

冷たい雨水

薄氷や浄財供はる行者堂

お寺や神社には水場がつきものである。

また、水場というのは大抵大きな屋根がかかっていたり、あるいは自然を利用した地形で水が湧き出すようになっていたりして陽光がさんさんと注ぐような場所ではないのが普通である。今日1周忌を迎えたほだかの回向をお願いしている寺も山の陰にあって池の氷は未だ完全に解けてはいない。

今日は雨水。終日冷たい雨が降り止まない。