百選の水も土産に新豆腐
どの家にも百選の山の水を引いている。
戸口の蛇口、おそらく打ち水用だと思われるが、にも水があふれるほど兎に角水が豊富なのである。
道路をはさんで行者宿が並ぶなかにあって、豆腐店が何軒かある。
水いいところに豆腐有りである。
もちろん陀羅尼助丸も特産。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
百選の水も土産に新豆腐
どの家にも百選の山の水を引いている。
戸口の蛇口、おそらく打ち水用だと思われるが、にも水があふれるほど兎に角水が豊富なのである。
道路をはさんで行者宿が並ぶなかにあって、豆腐店が何軒かある。
水いいところに豆腐有りである。
もちろん陀羅尼助丸も特産。
中元の礼者見馴れぬ背広着て
半農半杣というのだろうか。
日焼けしていかにも農夫、樵夫という風袋の男が、今日は珍しく背広を着て集落を巡っている。山の集落ではこうした盆暮れの挨拶は欠かせないものだが、一張羅の背広というのはすぐに分かるし、決まってノータイというのもこうした山村では礼を失したことにはならない。
父母の田舎もすっかり過疎の集落と化して、今ではこうした盆礼者の姿だってもう見られないかもしれない。
幾代もの卵塔並みてつくつくし
古刹の裏山は見事な無縫塔が立ち並んでいる。
沙弥から歴代住職の墓地だと聞かされる。
その裏山の裾にはこれまた立派な檀家の家墓が並んでいる。
きれいに掃き清められた墓地にはツクツクボウシが限りなく鳴き続け、間もなく盆を迎えようという晩夏の思いをことさら募らせるのであった。
橘寺の夏のことである。
端山にも名ある吉野の今日の秋
今日から秋である。
と言っても、実感は全くないのであるが、台風のもたらした偶然なのかどうか今日はいつもより五度以上も低い。
吉野吟行はおかげでドタキャンもなく、無事に終了。
先月は猛暑の中、少々歩くコースだったので恨み声も聞かれたが、今日は全くそういう声はなし。
むしろ、毎日の暑さを乗り切って夏負け知らずの面々。昼食の炊き込み御飯もぺろりと平らげ、お代わりするご婦人のたくましいこと。
こうでなくては俳句は続けられない。
年長の方々のエネルギーに舌を巻いた一日であった。
颱風の目とは闇夜に窓をたたくもの
夜中、まだ三時前頃だったか。
風雨が激しく窓を叩く音に目が覚めた。
寝床に入る頃には何の兆しもなかったのに、伊勢に上陸したものがあっというまに当地に達したのであろう。朝のニュースで頭の上を颱風が抜けていったことを知ったが、まさしく三時頃が台風の目が通過していたに違いない。
スマホの警報がけたたましく鳴って非常事態を知らせてくれるのはありがたいが、窓の音を聞きながらも眠りの底にふたたび落ちようとしているのを邪魔されてまた目が冴えてしまった。
伊勢の神風などどしゃれておれない、過去の常識を超える災害もあったようである。
ゆめゆめ、これからも予断はなるまい。
棚経のふりがな追へる唱和かな
昨日の続き。
住職の読経はとても早くて、追いつくのが大変だったが、今年の副住職はまるで逆。自分がふだん読んでいるテンポよりはずっと遅く、おそらく素人が唱和しやすいようにとの配慮だと思うが、それがかえってテンポを狂わされて息継ぎがうまくいかない。
まして、ふだん読んだことのない「大悲心陀羅尼」
は、漢字を追うと言うよりふりがなを追うしかない独特の読みなので、いくらゆっくり読んでいただいてもとてもじゃないがついて行けない。
あれは、サンスクリットに近い「音」なのかもしれないなと思った。
盆僧のもときた道を返さざる
今日からお盆。
母の送りのときお世話になったお寺から毎年來ていただいている。
住職は永年おつとめの永平寺から戻られた昨年の盆、久しぶりにおつとめをいただいたが、今年はさらに重職に就かれたとのことで、子息の副住職がお出でになった。
例年は、スケジュールが目白押しとみえて慌ただしくお帰りになるのだが、今年はいつになくゆっくりお話を聞くことができた。
ただ、車の向かう方向はお寺とは正反対の方向で、おそらく次の檀家の元へ向かわれたのであろう。