あばたのおかみさん

夕映えて軒にからびる唐辛子

しまい込むのをすっかり忘れていた。

秋口に唐辛子の一株が実をびっしりとつけたので、軒に吊しておいたのだった。
一か月以上も干すと、実はもちろん、枝も葉っぱもすっかり干からびて、ふればがさがさと音がする。
実は手で簡単に千切れるかと思ったけれど、意外にしっかりしていて鋏で一つ一つ離すという面倒な作業に没頭した。
聞けば、一昨年のがまだいっぱい残っているらしく、わざわざ手間暇かけて作るほどでもなかったのだが。
なぜこんなものを作るかというと、料理番組を見ていると、油にニンニクの刻みなどを炒めて料理のベースを作っているとき、タカノツメというのだろうか、あの真っ赤なものが簡単に作れそうに思ったからだ。
あのツンとした香り、辛みが味を引き締めてくれるからとくに中華系では必須で、ときに知らずにいっしょに食べてしまう失敗もあるが、和製調理料としては胡椒をしのいで最右翼。もっとも「唐」とあるので、おそらくどこかの時代に外からもたらされたものには違いなかろうが。
今夜は、辛子のきいた麻婆豆腐でも食いたいところである。
閑話休題。
麻婆豆腐の「麻婆」とは「あばたのおかみさん」という意味だそうである。清の時代に、油商の未亡人がありあわせの豆腐と羊肉を辛い味付けで料理したのが味がよく、これを売ったところ評判になって「麻婆豆腐」と言われたとか。

豊の羽後

みちのくの林檎ひだりに黄金みぎ
みちのくの朱より紅き林檎かな

鳴子から峠を下って横手盆地に入った途端目を瞠った。

国道の右半分が黄金の波、左半分が林檎園である。
頃は9月の末だったか、刈り入れを待つばかりに首を垂れた稲穂が光り、誰も人の手の触れられてない林檎は黒を帯びた赤色をしている。国道は街中を抜けないから、そんな状態が延々と続く。
豊かな国だと思った。銘柄米「あきたこまち」の産地だから当たり前だといえば当たり前だが。黒光りしていた林檎の種類は何だったんだろうか。
視野いっぱいに黄色と赤の景色がひろがる、豊の羽後はいまでも鮮やかに思い出すことができる。

明日はわが身

事務職の土嚢詰めもし台風来

台風第二陣。

今度は風はそれほどでもないが、雨の被害が心配されるという。
21号の被害がまだいやされないうえ、町内はたっぷりと水を含んで地盤がゆるくなっているので、町は対策に余念がない。
明日から予想される雨に備えて、役場では真新しい作業服の事務職が土嚢をせっせと作っていた。
電車を止めた住宅地の崖崩れで地盤をえぐられた住宅八軒はつっかえ棒でかろうじて崩壊を免れていて、使用禁止の貼り紙。
このような災害被害が各地でくりかえされるのは、いままでになく多く、明日はわが身を肝に銘じなければ。

天気待ち

田一枚刈り残さるる長雨かな

長雨がようやく途切れて快晴。

盆地の稲刈りも終わったかなと見回してみると、まだところどころ残っている田がある。
10月も終わりというのにまだ終わらないというのは、ここんところの長雨でタイミングを失したのかもしれない。
週末は台風の影響も出そうなので、はらはらしながら行方を見守っておられるだろう。

運転再開

水引いて夕月尖る大和川

夜になってようやく青空が顔を出した。

台風過二日目の、束の間の晴れである。
冴え冴えとしたした三日月と宵の明星が相並んで、空は澄み切っている。
久しぶりの秋の空気となったようである。
明日は、全国的にも秋日和だという。
夕方、最寄り駅の運転再開されたというニュース。
わずかな晴れ間を利用してやりたいことはいっぱいである。

災害大国

振替のバスをたのみの台風禍

最寄り駅近くで、線路を覆う土砂崩れがあった。

近くを通りかかったら現場と思われる場所にブルーシートが敷かれていて、復旧の見込みが立たないのだという。
というのは、住宅地の擁壁ごとすべり落ちて線路にまで達したもので、住宅基礎が半分露出したままパイプの支えでかろうじて家が落ちずにすんでいる状態。
いつまた崩れるかもしれないというのでは、たんに線路の土砂を片付けたら運転再開できるというわけでもなさそうだ。

このような被害や同じ町内で大和川が氾濫するのを目の当たりにすると、日本は災害大国だということをあらためて認識するのである。

必須のアプリ

すさまじき雨に避難の是非もなく

何度も有線で避難情報が流される。

ところが、激しい風雨で窓をすべて塞いでいるので、何を言っているのか全く聞こえない。
むしろ放送よりも頼もしいのは防災アプリの警告であった。あの地震の警報と同じく、ピロンピロンと鳴って教えてくれるので、スマホのNHKのニュース防災アプリのインストールは必須であろう。
近くの鉄道には土砂が流れ込んで大きな被害を受け、いまだに復旧の目途はたっていない。
ごく身近なところで通勤通学に支障が出るほどの被害があったというのも初めての経験で、今後こういった災害がいつでも身近に起こりうることをあらためて認識することになった。