耳を疑う

行き交ふる人とうなづく初音かな

囀りも初音も。

風ひとつない穏やかな日。気温もぐんと上がって桜が開いてもおかしくないような日和である。
とくに鶯はこれが初音かと耳をうたがう熟練の域に驚かされる。
別な場所でも二回目の鶯を聞いたが、こちらは幼くていかにも初音という風情。
初音の林では種類は不明だが明らかに鳥の囀りも聞こえてきて、人の皮膚感覚ではまだ冬のようなものだが自然界はすでに春が満ちてきている。

季節先取りする必要はないにしても、自然界に敏感に反応して季節との交わりが楽しめるたら毎日が潤うことだろう。そのためにはせっせと外を歩いて自然と直にふれあうしかないのだ。

椿油

嘴に花粉すなはち島椿

椿油はもちろん椿の実から絞る。

盛んに花をつけた椿には、蜜を求めてメジロや鵯などの鳥がやってきて、受粉に一役買うわけであるが、そうなると花が落ちたあとにはすでに小さな実がみえるものである。そのあとは秋になるまで実が大きく育つのを待つばかり。
椿は伊豆大島などが有名であるが、ほかにも南の島でも主力産業として成り立っているところもある。

同化

みちすがら芥菜つみて人に逢ふ

袋を開けて見せてくれた。

句会場にくる途中で見つけたので、摘んできたという。
連れ合いに先立たれたお一人の食卓にちょうどいいくらいの量である。
夕餉の卓にはぽっと春が灯ったことであろう。
なんでもないことだが、自然と同化した暮らしには安穏がある。

雨水

咲き満ちて梅散りそむるけふ雨水

暦では雨水とか、おりしも今日は雨。

雨に打たれたか、庭の白梅が木の根元に散り始めた。
今年ほど花をたくさんつけたのは初めてで、ピークを超えようかという時期にもあたっていたので、これからの楽しみはぱらぱらと散るのを眺めることになる。
花が終われば今度は実の生りがきになる。虫たちをあまり見なかったので、ちゃんと受粉できたろうか。

歩幅

球根の角の突き出て春の土

暖かい日差しにチューリップの苗が萌えだした。

春に大々的にチューリップフェアをする公園で一気に春が進んだようだ。
去年の暮れから花壇の整備を続けてきて、間もなく何万本ものチューリップが一斉に咲くのだ。
いつもより一枚脱いで歩いても汗ばむくらいの陽気で、しばらくはこの温かさが続くという。
歩数も伸びて今日の万歩計は八キロを示した。ちょっとオーバーだと思うのは、きっと歩幅の設定が甘めになっているせいだ。
それでも、一万歩を久しぶりに超えていい気分である。

春の大雪

実朝忌刺客ゐさうな切通し

全没。

結社の月例句会にデビューした。
兼題は「立春」と「実朝忌」。席題は「和布」であった。
立春というのは古今あまた詠まれているのでなまじの句では到底通用せず、今回は取り合わせも可能な実朝忌一本で七句出句。掲句はそのうちの一句。実朝の暗殺は陰暦1月27日。当日は春の大雪で鎌倉は積雪60センチだったという。

互選ではまあまあの票をいただいたのであるが、主宰選ではどれも選ばれなかった。
自分でも一、二句くらいは並選があろうかと期待はしていたが、少々ひねりすぎたようで反省しなければいけない。
普段の句会に比べてお歴々が壇上ずらりで緊張もしたが、いい勉強にはなった。
来月の捲土重来を期して頭を切り換えようと思う。

ジリ貧

春泥を跳びて郵便届きけり

週休二日の時代というのに土曜日でも律儀に郵便が届く。

検討はされているのだろうが、そろそろ土曜日の郵便配達をやめたらどうだろう。
即日配達を売りにした宅配サービスもあるというが、法人の飛脚サービスならともかく、日用品の類いまでを対象としていったい人間の欲というものにはきりがない。
なくても困らないような安いサービスがどんどんふえ、従事するひとは低賃金にあえぐ。
ジリ貧経済の底が見えない。