梅は咲いても

案の定雪見る朝の春立てり

ますます寒さが募ってきた。

今朝など雪が激しく舞い、これも立春らしいといえばそうだが、ちょっといつもの年ではないような気がする。
というのも、前にも書いたが、今年は三寒四温がいっこうに始まらないのだ。
それどころか、この先一週間は低温が続くという。
梅,木瓜は暦通り咲き始めたが、天気だけは相変わらず気紛れなものらしい。

お大尽

粋筋を引き連れ二月礼者かな

これも死語に近い季語かもしれない。

意味は、仕事の関係などで正月に年始回りができなかったために、二月一日に年賀に回る人。また、その風習を言う。
正月興行で忙しかった役者、料理業界などに見られたという。
新暦となって、2月まで年賀の挨拶をしないということはないと思うので、俳人だけが遊べる世界ではないだろうか。
黒紋付のきれいどころを引き連れて、まるで成金のお大尽のような年賀である。目はもうきれいなお姉さんに釘付けである。

徘徊

千尺の糸に和凧の機嫌よし

さえぎるものは何もない。

墳丘の天辺からは盆地を囲む山が一望できる。それだけ広い丘である。
その丘から凧をあげているひとがやっぱり今日もいた。
先日も見かけた自製凧のベテランである。
先日は無風に近かったので洋凧だったが、今日は軽く風があるので、和凧のようだ。それも西風にのって300メートルほど糸がでている。遠目にも尻尾が異常に長い。その効果かどうか凧は非常に安定している。糸を出せば出すほどするすると昇ってゆく。
そのまま凧名人としばし歓談。
そのうち急に風が冷たくなったなとたしかめたら、風が逆の東風に変わったようだ。時間もそろそろ夕方にかかる頃、頃合いとみて名人は凧の糸を巻き始めた。
おろした凧を見せてもらったら、シンプルながら実に考えられている。部材のどれもが徹底的に軽量化を図っているのが一点。たとえば竹材も徹底的にうすく削られているし、部品点数も極小である。まず外枠というものがないのに注目。
糸と凧本体を結ぶ糸は二点支持。普通なら三本である。これも凧の挙動を少なくする仕組み、というか気ままな風を軽く左右にいなす機能もあるようである。
いろいろお話を聞いているうちに、同世代とおぼしきひともやってきて、ひとしきり昔の遊びの話に花が咲く。
こんな自然いっぱいの公園に、スマホ片手に徘徊している若い人の多いこと。昔人間には異様としかいいようのない光景であった。

双葉より芳し

梅の芽のゆるむ兆しのかほりかな
晴るる日のくる日来る日の梅探る

散歩に出れば必ず梅園に立ち寄る。

蕾はまだ固そうだが、気のせいか香り立ってきているように感じて思わず振り返った。
冬と言うにはずいぶんあたたかくて、風もなかったので、かすかな匂ひが吹き消されずにあたりに漂っているのかもしれない。
「栴檀は双葉より芳し」とはいうが、梅というのも蕾というよりも、芽のうちから匂い立つということを今さらながら知ることができて新鮮な驚きである。

ローカルルール

茅花野へエンタイトルのツーベース

茅花はすっかり穂となって風にきらきら揺れている。

草野球の外野席も茅花に覆われて、ここへボールが転がれば二塁打というのがローカルルール。
草野球の打って打たれてシーソーゲームというのも面白い。
梅雨が近づくと南から湿った風が吹く。「茅花流し」というしゃれた名前ももらって。
しばらくは薫風が続くらしいが。

ハイキング日和

律法相つなぐ並木の緑立つ

久しぶりに西の京を歩いた。

気温はずいぶん上がったようだが、風があったせいか汗もすぐに乾いて実に心地いい日である。
午前中は平城京の予定だったが、都合がつかず昼食から合流した。
高校同窓会の平城京・西の京ツアーで、三重や関西から古稀二十数名のハイキングである。

薬師寺(律宗)では日曜日にもかかわらず、修学旅行なのか遠足なのかわからぬが、大勢の高校生の列で薬師さん、日光月光さんをゆっくり見ることはできなかった。ところが、どうやら東院堂は玄人好みというか穴場のようで、皆さん素通りである。おかげで堂内でゆっくり聖観音さんにご対面することができた。
緑滴る唐招提寺(法相宗)も比較的ゆっくり巡ることができた。見るもの、建物も仏さんも国宝揃い。心ゆくまで堪能させてもらった。とくに、この時期どうかなと半ばあきらめていた鑑真さんの故郷の花「瓊花(けいか)」が、一枝だけに咲き残ってるのを見たときは思わず声に出るほど嬉しく、みなさんに紹介させてもらった。
最後に、喫茶店でコーヒーでも飲みたいという声があがったが、この辺りではそんな店などありようはなく、大阪組と三重組はここでお開きとなった。

100時間/月?

メーデーの列を落伍の銀座かな

ハイキングにでも来たような気分と言おうか。

そんな人たちが多くを占めるようになって、家族連れで参加する人は多い。
私はと言えば、員数合わせの動員をかけられて参加したものの、生来のノンポリ派だから、シュプレヒコールという前時代的なものや、あのメーデー歌に始まる胡散臭さには馴染めずに、式典が終わって都心の行進に出たのを幸いにこっそり抜け出したのだ。
のちに、労組専従役員となって先導する立場になっても、恒例の祭だからと言って割り切ることはできず仕舞いで、どうしてもあの行事には馴染むことができなかった。
今は、労働組合もずいぶんおとなしくなって、月100時間までの残業ならかまわないとするらしい。これは、月に四回休日出勤して32時間、毎日残業3Hして66時間、そういう働き方になる。
それでなくても、正規雇用、つまり労働組合に守られているはずの人々がおかしいと思わないのがどうかしている。