出直し

大鷹の翼返して耀へり

大鷹がはばたく姿を見たことがない。

発見したときはたいがい風をとらまえて旋回しているのである。
これが冬日ともなると、ひるがえるほんの一瞬下から日が当たるようなことがあり、きらめくように光を返すのでそれはそれは神々しい姿となる。
これこそ金鴟と呼ぶものではないかと思えるのである。
今日の鷹の句は全没。力が入りすぎたときは思いがまさってかえって句姿を崩してしまったようだ。
これを戒めとしてまた出直しだ。
なお、句会に出ると思わぬ知識も得るもので、「青鷹」と書いて「もろがえり」と読む。万葉集にも読まれる大鷹の古名で、鷹狩りに最も適していたとされる。

10月の陽気

きのふにはなかりし暈の落葉かな

一日で一気に積もった。

昨日までは道の端に積もっていただけの落葉が、今日は道を隠すほど散り積もっている。
毎日が冬に向かってどんどん突き進んでいることを実感する。
今日の歩数1万ちょっと。
陽気がいいので気持ちよく伸ばせた。

雑木いろいろ

新しき落葉のはなつ匂ひやな
枝ぐるみ落葉を敷けるくぬぎかな

木の周りの広い範囲に落葉が積もっている。

なかには枝ごと落ちて、どれもまだ新しい落葉。誰も踏んだ跡がないところに踏み入れば、そこは「新しく」落ちた葉っぱたちの匂いがたちこめて、これもちょっとした森林浴だなあと思う。
欅の大木も広い範囲に落葉を散らしているが、葉の大きさ、厚さ、固さなどにおいて櫟のほうがまさっているのでボリューム感があって、いつの間にか落ち葉のふとんを踏むのを楽しんでいた。
今日あたりは楢の木の黄葉が目立ってきれいになってきたと思った。雑木にもいろいろあって、みな美しい。

質感ある落葉

紅葉散るどこかゆかしき山桜

花が散るのも優雅だが、紅葉した葉が散るのも風情がある。

風がほとんどない日だったせいもあるが、ちらほらとゆったり落葉するとき花が散るときと同じようなゆっくりとした時間が流れる。
染井吉野は堤とか街路樹など苛酷な環境に植えられることが多いので葉が痛みやすいが、雑木山で競争を耐え抜いて育った山桜の健康な葉が見事に染まって周りの落ち葉とは一線を画すような美しさ。
今年は櫟の黄葉が見事だと書いたが、櫟が落ちるときはもう半ば枯れているのに対し、山桜の落ち葉はまだしっとりとした質感を帯びているのだ。

ほっこり

小春日の石のベンチを譲り合ふ

今日はさすがに冬日の、風の冷たい一日だった。

とても小春の陽気とは言えない。
石というのは熱しやすく冷めやすいので、こんな日に石のベンチに腰掛けるには勇気がいるが、歩いていて体が温まっていれば短時間なら我慢できそうだ。
ついこの間の散歩のときには何人かでスペースを譲り合ってさらにほっこりしたものだが。

日脚

風止んで足より暮るる枯野かな

日脚が早くなってきた。

そのうえもう昏れる頃ともなると急に冷え込んでくる。
風があった日にはそりゃ震えるくらい寒くもなるが、今日はおかげで風はゼロ。ゆるやかに昏れるいい夕となった。
冬の夕は足もとから始まる。

吸収

竹林を抜いて冬日の閑かなる

竹林からもれてくる日差しがまぶしい。

いつもなら鵯の声が大きく増幅されるほど賑やかなのだが、今日は深閑としている。
もれてくる冬日さえ竹林に音を吸収されたかのように閑かな気がするのである。