寒々と

大北風や何やら飛んで勝手口

勝手口に大きな音がした。

突風が吹いてゴミ箱を吹き飛ばしたようだ。
寒いこの風に今夜は荒れる予感。
近年12月は一回必ず寒波が襲うように思う。とくに今回の風には注意が必要で、雪も加わってどこかで大きな災害が起こらねばいいがと祈るばかりである。
大阪で痛ましいビル火災のニュースがあった。放火の疑いもあると聞けば、心にも寒々としてくる師走である。

箱買い

黄にそまるほど蜜柑食うたは昔

散歩から帰り蜜柑二個食う。

それからお茶など水分補給して一日の必要量の水分摂取は終わり。
ほんとはもっと飲まなければならないのだが、体が要求しないのである。
あとは風呂前に一杯飲んで、上がってまた一杯。これで確実に夜中に尿意をもよおして夜中に目が覚める。
水やお茶の代わりに蜜柑などをもっと食べればいいのだが、昔と違って多くは食べられない。買うのも一袋十個くらい入っているので家族二人には十分である。
かつては年末ともなると蜜柑は箱単位で買うもので、家族みなよく食べたものである。蜜柑好きが昂じてあきらかに顔や指が黄色になってみんなからからかわれたヤツがいたっけ。

従順

マスクより顎はみでてる笑ひかな

マスクに季節感がなくなって間もなく二年。

家にいる時間の方がはるかに長く、滅多に人混みに出かけないのでマスクの居場所は決まっている。カギと一緒のところと決めていて、外出するときにマスク、マスクと慌てることもない。クルマで出かけるときは車内においてあるものを使う。これはちと衛生上気になるが。
スーパーへの買い出しにつきあうときなど、ノーマスクのまま店内に入ろうとして慌てて取りに戻ったりするヘマはやるが。
他人のマスク姿をみるに、当地では鼻マスクの人はまれである。ふだん行き交うのは年寄りばかりだから意外にみなさん従順に守っているようである。
たまにはマスクからはみ出るような大笑いを見たいものである。

実感

大門松たて三輪さんの事始

「事始め」というと京の芸妓や舞子が師匠に新年の挨拶をするものだと勘違いしている向きがある。

これは、12月13日「正月の準備を始める日」という意味で京の芸妓にかぎらず、神社ならば門松を立てたりして正月の準備を始める日のこと。
大神神社では毎年クレーン車が来て第二鳥居の前に大門松を設えるのが当地でのニュースとなる。
暦的にはいよいよ歳末だが、コロナ禍もあってか年金生活者には今一歩実感がわかない。今日も今日とて畑へ顔を出しては菜虫をとったり、ネギを摘んできたり。
何も変わらない日々が安穏でいいと思う。

県境をまたぐ

二年ぶり親に相見ゆ年の暮

今年の年末年始は久しぶりの帰省ラッシュがみられるかもしれない。

オミクロン株の脅威がどの程度か専門家でも見通せない現状だが、少なくともこの先一か月は府県をまたぐ移動を慎めというような事態にはなるまい。
従来通りの予防対策、とくにマスクと換気につとめれば恐るることにはなるまいと思える。
子供たちも二年つづいて帰省してないが、久しぶりの再会となろうか。

パートカラー

玉章たまずさや藪にくぐもる水の音

秋のものもあれば春のものもある。

秋の赤のままに混じって春のナズナの花、はこべがもう咲いている。
今日はちょっと足を伸ばし、自宅裏の斜面に広がる葡萄畑を縫って信貴山雄岳へのハイキングコースのとっかかりを探すプチ旅。
蛍がとぶという信貴川にそって尾根へ出、そこから雄岳へ出られると菜園オーナーから聞いたので途中までいってみようと思った。
葡萄畑は思ったより傾斜があって広い。収穫後の剪定はすでに終わっていて、今は来年に備えての作業のようである。
信貴川は短い距離を一気に大和川に下るので、深い谷をうがち流れも早い。足もとからは落ちてゆく水の音が聞こえるのだが、篠竹の藪にはばまれて見えない。それら冬に備えて葉を落としたり枯れかかっていくなかに、真っ赤な玉章(烏瓜の別名)がからんでいる。灰色がかったまわりのなかで、まるでそこだけ赤い色がついたパートカラーのような不思議な感覚だ。
もう少し地図を調べて何年ぶりかで御鉢堂がある雄岳まで行ってみようと思う。今日はその小手調べだが、腰の方は思ったよりいいようでうまくいくかもしれないと思った。

蜜柑がうまい

土竜塚いまだあたらし冬日向

ここ数日でもぬきんでて温かい一日だった。

小春日のなかの小春日。
こんなときこそ朝に昼に忙しく、いろいろ用事はあるものだ。
あっという間に日が傾いて、帰ってきて食う蜜柑がうまい。何個でも食べられそうだ。
蜜柑といえば今頃の蜜柑が一番甘くおいしいと思う。
正月を過ぎれば果肉に締まりがなくなりそう多くは食えなくなる。初冬の蜜柑が一番うまい。