クリニック通ひまた増え手帳買ふ

伝統俳句系からすると「手帳買ふ」は季題として認められるかどうかはともかく。

「日記買ふ」はれっきとした季題であるので、予定以外に備忘録、メモとしても使えるダイアリー手帳も大きな意味では含まれてよいだろう。
これまではマスの大きなカレンダーにメモしておくだけで十分足りたのだが、一つにはコロナ禍の影響で医者通いもすべて予約となったので、ちゃんとメモしておかなければいけなくなったこと。さらに二つ目には、リマインド役としておおいに助かっていた家人がいよいよ入院するとなるとちゃんと自己管理する必要があること。
ビジネス手帳ほどのものも要らないのでいわゆる百均のダイヤリー型手帳で十分である。一日分の枠は一件しか書き込めないような小さなものだが今の私には十分である。スペースが足りなければ隣の枠にはみだしてもよい。余生のやるべきことと言ったらそんな程度だ。

老々看護

数へ日や手術の前のあれやこれ

年明け早々家人の手術が決まった。

そのための検査や事前説明やらあれこれの予定が押し詰まった年内の予定に加わった。
以前にも同様の手術を経験しているのでやる内容はほぼ同じだが、今度は利き手の側の腕になるだけの違いである。ただしこのたびは事前のPCR検査も必要になって正月早々もあわただしいことになりそうである。
さらに、利き腕だけに当分家事はむずかしいことになるので主夫が代役を務めることになる。半年程度は家人の指示通り腕を動かすことになりそうである。
年明け早々老々介護ならぬ老々看護の日々が始まる。

乗りきる

新湯にして仕舞湯となる冬至風呂

今年はいただいた柚子がまだ十分残っている。

今夜は一個二個だとけち臭いことは言わず何個も並べてみよう。
今朝のニュースを聞いていて不思議に思ったのは、関東とくらべて日の出の時間差が一分程度しか違わないのに、日の入りでは十分も差が開くらしい。どう言う理屈でこうなるのかさっぱり見当がつかない。
ともあれ、明日よりは春への第一歩。そのように考えて冬をのりきりたいものである。

震度1

ひとりとして寒いと言はぬひとのなし

暖かな冬に馴れていたせいか、年末の冷えが思ったよりきつい。

通常は床暖房だけで済ます朝も、この二、三日はエアコン暖房も動員して体に檄を飛ばしているありさまである。
街で人に会えば必ず最初の一言が「冷えますね」「寒いですね」である。
畑で体を動かしている分にはその寒さもやがて忘れて体もほぐれてくるが、家に帰って水分補給にと蜜柑を食えばふたたび体が冷えてくる。
猫どもは床暖房利用の炬燵にもぐったまま、夕食まではおとなしい。そんな日がつづいている。
ところで、今朝めずらしく奈良を震源とする小さな地震があった。震度1にしてはガタッとショックを体感したが、さては列島のあちこちにひずみがたまってきて、どこに大きな地震があるかも分からない、そんな時代に入ってきたことを自覚せざるを得ない朝だった。

電動自転車

自転車に荷を振り分けて年の暮

学校帰りの子らが自転車を灯して坂を登ってゆく。

夕方ともなれば主婦もまた買い物帰りの荷を積んで電動バイクを奔らせる。前も後ろもそのバスケットに荷物が多いのは年末だからだろうか。

逃げ場

空っ風さまよふさきの吉野かな

北風の行く先は三山辺りか。

盆地は風の逃げ場がかぎられている。わずかでも山間の隙間があればそこへ向けて吹き込むのではなかろうか。当盆地でいえば、桜井から隠国のあたりであろうか。他には紀路であろうが、ここはまた茫漠としている。吹き余った空っ風は吉野の山中をさまようのであろうか。

ガソリン高

歳末やホームセンターいくそたび

必要なものを探していると日はすぐ暮れてくる。

めざした店では思った品がなくて、別の店に回ってみたりして。あげくほしかった商品がなくて今日の予定はまったく進まずじまい。リアルの店にないならば、帰ってからもネットで検索となにかとせわしい。
掃除やら片付けやらがあって、この時期はホームセンターのお世話になる。当地はどの店に行くにも何キロも場合によっては十キロ以上も車を走らせないとならないので、その往復だけでも時間がとられるのである。クルマはほとんどそういう場合にしか使わなくなったが、それでもガソリンは着実に減る。このガソリン高はなんとかならないものだろうか。