小鳥來て稿の進まぬ書斎かな
枝に刺す牛脂目当ての小鳥来る
散歩シーズンがやってきた。
あの夏の暑さでは外を歩く意欲すら湧かないが、これから冬鳥のシーズンとなると少々寒くても全然気にはならない。むしろ、わずらわしい汗に悩まされることがないので、距離だって伸びる。
怠けたはずみで増えた脂身ともおさらばしたい。
脂身と言えば、ふだん目にする鳥はひまわりの種を好むものだが、むしろ牛脂などを好んで食べる種類がいるようだ。虫など動物性のものを食べるものなら、いける口かもしれない。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
小鳥來て稿の進まぬ書斎かな
枝に刺す牛脂目当ての小鳥来る
散歩シーズンがやってきた。
あの夏の暑さでは外を歩く意欲すら湧かないが、これから冬鳥のシーズンとなると少々寒くても全然気にはならない。むしろ、わずらわしい汗に悩まされることがないので、距離だって伸びる。
怠けたはずみで増えた脂身ともおさらばしたい。
脂身と言えば、ふだん目にする鳥はひまわりの種を好むものだが、むしろ牛脂などを好んで食べる種類がいるようだ。虫など動物性のものを食べるものなら、いける口かもしれない。
捨猫を飼ふと夜寒の腹くくる
洋便座尻にしみいる夜寒かな
昨日より長風呂となった。
湯温も夏温度から冬温度へ。湯上がりのパジャマも長袖に。
暖房便座も夏の間は無用の長物でしかないが、今日からはオンに。
昔に比べれば座れるだけ腰にありがたいのに、そのうえ暖かいなんて。
先月迷い込んできた子猫も日に日に大きくなり、胴体がぐんぐん伸びて長くなってきた。手足もまたすこぶる長いので、大型猫になるのは必定。身長の伸びに肉が追いつかないと見えて、なかなかふっくらとした赤ちゃん猫らしくならない。様子を見ながら餌の量を増やしているのだが、これ以上やると肥満児になるかもしれず、さじ加減がむずかしい。
推定では生後二か月というあたり。里親を探すにはいいタイミングだが、情が移ってしまってるのでこのまま飼い続けることになるだろう。
教団の街の並木の薄黄葉
銀杏並木の絵となると神宮外苑がすぐ頭に浮かぶ。
ことに晩秋の落ち葉を深く敷いた光景は印象的である。
キャンパスに銀杏並木も多いが、さしずめ北大が最有力といったところだろうか。
当地では、天理市の街路樹のこれからが素晴らしい。特に、大学前の目抜き通りなどは一見の価値があり、石上神社へゆくついでと言ってはなんだが、立ち寄ってみるのも一興であろう。
今日は、大和川をはさんで対岸の住宅地では、早くもポリ袋を片手に銀杏を拾う姿を見かけた。
街路樹というのは落葉樹だから、これの種類も大きさも揃った街路が、これから一年でもっとも美しいシーズンを迎える。
西望む挽歌の歌碑の秋の声
弟背とも背子とも詠みて秋の声
桜井市の二上山を西に望む吉備池畔にはふたつの歌碑がある。
ひとつは大津の辞世の歌とされる「もゝつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲がくりなむ」であり、もうひとつは大伯の「うつそみの人なるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む」。
文武に秀で万葉に懐風藻に名を残した大津皇子の大ファンである私は、姉弟の歌碑が並び立つという事実、もうそれだけで胸が絞られるような切なさがこみあげてきて、そんな情がじゃまをしてなかなか句を授からない。
逝かるべき母の秋思の気高くも
今日は八回目の母の忌日である。
母は人一倍の暑がりで、その年の秋が訪れても毎日クーラーが欠かせず、それでも暑い暑いと訴えるのだった。
ある日の夕方、気がつくと網戸を開けて何を考えるのか、まるで放心したように柱にもたれては外気に触れるのを見た。
その後ろ姿はどこか気高いものを感じさせ、声をかけるのさえためらうのだった。
そのあと、一か月もしないうちに母は旅立った。
今朝はいつも以上に時間をかけて心経を供えた。
颱風を追ひ打つごとく夕茜
不気味な雲が西へ飛んでゆく。
あきらかに台風は去ろうとしているのは分かるが、その黒雲がこれまた不気味にも夕焼けているのだ。
ただそれは尋常の色ではなく、橙がかった色が雲といわず空全般に広がっているのだ。
なにやら不吉を思わせるゆうやけで、これから上陸するという静岡、関東の無事を願うのみである。
月無くて明日の闘球なかりけり
本来なら後の月ですばらしい月の夜のはずだが。
台風の影響であろう、空気はやや熱と湿気を帯び、ちょっと動くだけで汗が流れてくる。
ちょっと動くというのは、台風に備えてのいろいろのことで、殘り蚊に刺されながら重いものを動かすなどなかなか重労働である。
とはいえ、先般の風台風でひどく被害を受けられた地域の方々のご苦労に比べれば何と言うレベルのものではないが。
四年待ったラグビーW杯の好試合二つがすでに中止と決まって、首都圏はじめ各地が緊張に包まれている。ひたすら無事を祈るしかない。