甘酢がうまい

窮屈な鉢にのぞける花茗荷

ちょっと気がつかないうちに、いくつも花が咲いている。

花になる前の茗荷の子もどっさり。
プラの鉢がはちきれそうに株が増えて、今年は大豊作だ。
両手に余る花茗荷、茗荷の子を摘んでもどると家人は甘酢に漬けて食べるという。
胡瓜と並んで、茗荷の甘酢がさっぱりして食が進む。
と言っても、昼は素麺が多いのだが。
そういう意味では、食はまだまだ夏のものだ。

語り継ぐということ

どこまでも空煌煌と長崎忌

町の有線から鐘の音が聞こえて黙祷をうながした。

今日は長崎忌。
広島の場合は真っ青に晴れていたと言うが、長崎ではどうだったのであろうか。
あの青い空が白くなるほど光って、一瞬にして何もかもが破壊された。
当時の写真、描画、証言はどれもが貴重な記録遺産そして記憶遺産。
ながく語り継がれねばならない。

風の夜

風孕む夜気にもふれよ秋の立つ

エアコンのおよばないはずの廊下が意外に暑くない。

昨日までは部屋を出るとむっとする熱気に包まれていたのが、嘘のようにからっとしている。と言っても、相対的なという意味で、平年を大幅に上回る異常な暑さには変わらない。
この二、三日、高気圧の中心がだんだん当地を離れている予感があって、この分では夜涼を味わえるのも近いと期待していたのがずばり的中した。
夕方いつものように水を撒きに外へ出たら風があり、しかも涼しい風だ。
久しぶりに風を体感する宵だ。

それにしても暦というのはよくできている。涼しさのレベルは遠いがこれもいまどきの秋であろう。

ワンコイン

空にしてボトルに清水汲みにけり

滝もいいけど山清水、谷清水もいい。

苔清水、草清水もある。
ふくんでみて甘いな、うまいなと思うとボトルにつめて持ち帰りたくなる。
なかには、ちゃっかりワンコインで売ってる清水もあって商魂たくましい。

涼しさの尺度

打たれては滝を裏見の菩薩かな

東吉野吟行。

涼しかった。と言っても三十度はある。
盆地より五、六度低いから、それでも涼しいと感じてしまう五体である。
先月の兼題句会で「滝」を詠んだばかりなので、もうひとつ興が乗らなかったが、それでも実際の滝を前にすれば何とか見えてくるものがある。
今日の「投石の滝」は何年か前に見たときよりも水量が多く、そのすさまじい音に圧倒された。
近くには寄れないが、一直線に落ちる滝の後ろに菩薩だろうか苔生した石仏が飛沫を浴びながら鎮座されているのを詠んだのが掲句である。

3Lサイズ

大きくてけれど緻密に伊那の桃

7月になると毎年大きな桃がとどく。

しかし、悪天候のせいで今年の出来はもうひとつで8月にずれこんだうえ、早く食べろと言う。
ふたり暮らしには申し訳ないほど多くて腐らせるわけにはいかず、ひとり一個の大盤振る舞い。
さすが、3Lサイズというか、大型の桃はひとりで食うには途中で休憩をはさむしかなく、おたがい顔を見合わせては腹をさする。
プチぜいたくな、そしてささやかな時間がいとしい。

真っ赤っか

夕焼の濃きを没して生駒かな

いいところを全部生駒がもってゆく。

夕焼けの一番濃い部分がいつも山の影に沈んでしまうのだ。
だから、生駒山地の東の麓にあるわが家ではきれいな夕焼け空というのを滅多に見ることがない。
梅雨の頃、大気にたっぷり湿気を含んだ夕空がそれこそ真っ赤になるほど焼けるのを見ることがあるが、当地ではまず見られない。
それだけが残念である。