どくだみの生き生き生きる薬草園
陰湿な場所を好み隠れもののイメージ。
ところが、薬草園では畑の一角を与えられて堂々と日を浴びている。当然と言えば当然だが。
匂いも強くて嫌われ者でもあるが、意外な効用として雑草さえ忌避してしまうと言うくらい頼もしさもあるのだ。
ただ、放置しておくと手がつけられないくらい蔓延してしまうので、そこら辺は手加減が必要なのは無論である。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
どくだみの生き生き生きる薬草園
陰湿な場所を好み隠れもののイメージ。
ところが、薬草園では畑の一角を与えられて堂々と日を浴びている。当然と言えば当然だが。
匂いも強くて嫌われ者でもあるが、意外な効用として雑草さえ忌避してしまうと言うくらい頼もしさもあるのだ。
ただ、放置しておくと手がつけられないくらい蔓延してしまうので、そこら辺は手加減が必要なのは無論である。
藷挿して根付かぬ苗の溶けにけり
時期が遅く売れ残りだったせいか、もともと苗がよくないのは分かっていた。
10本中半分ほどが活着に失敗したようで、成長点である先端もろともいつの間にか消えている。
一度はあきらめようとは思ったが、あれば儲けもの程度に考えて苗専門店に行ってみると意外にいい苗が残っている。
必要な本数だけ分けてもらって帰ったことは言うまでもない。
ただ、さすが関西だけあって、鳴門金時が幅をきかせていて、お気に入りの紅吾妻でないのが残念だが。
玉葱を刻んで夕餉定まりぬ
玉葱を炒める香ばしい匂いがたち、今晩のメニューの想像がついた。
新玉葱はサラダによし、まるまる使ったスープもよし。料理に溶かし込めばその甘味が絶妙な隠し味となって、ふだん玉葱嫌いの子供だって大喜びの料理となる。
玉葱を好きになるきっかけとして新玉葱のシーズンの今がチャンスだろう。
僕だって最近になってようやくその旨さに気づいたくらいだが、料理の工夫次第では子供の頃から玉葱を好きになるのではないだろうか。お父さん、お母さん、まずは率先して玉葱を食べよう。
黒南風の牛舎の泥に反芻す
湿った空気が重たい。
時折の雨に傘を持って出るかどうか迷うところだ。
案の定出かけようとしたら雨がぱらついてきた。
梅雨入り宣言こそ出てないが実質レイニーシーズン・インである。
雨の合間を縫って、うまく根付かなかった藷、成長の悪い茄子の植え替えと、土が雨で柔らかくなっているうちに雑草引きと。
池水を引いて代田の泡まみれ
水口の塗りに手練れの代田かな
星景の底に代田のあるばかり
ひとところ水漬かぬままの代田かな
貼り紙に池水解放の日にちが書いてあった。
はたして、山の池につづく急傾斜の水路をごぼごぼ音をたてながら代掻き用の水がくだってゆく。
雨の少ない盆地は例年梅雨入り頃の溜池の水を放して本格的な田植えが始まる。いまは半分ほどの田に水が張ったようだ。
田の土はこれまでたっぷり日を浴びて温度が上がっているので、代掻きが終わったばかりの田は白濁したままで泡だっている。
このあと畦塗りして、落ち着いてくると代田の水も澄んできていよいよ田植えを迎える。
今日日曜日も山の田に向かって耕運機が公道を登ってゆくのを見た。あたりはすっかり宅地化しても、昔から在の人たちがやってきたやりかたでむろんナンバーレス。なんとものどかである。
さきがけの四葩供花とし剪りにけり
紫陽花の蕾が色づきはじめた。
花の成長が早くすぐに花片をこぼしてしまうので、仏壇に供えるには咲ききるまえのむしろ蕾のもののほうがよい。
冬の間にかなり枝透きしたので、今年は形もよさそうだ。
雨があがった朝、さっそく鋏を手に庭に降りた。
皮底の靴重たくも走り梅雨
西日本の頭越しに東の梅雨宣言。
関東などは明日は晴れそうだしなんだかなあと言う感じだが、西はしばらく先に持ち越すとのこと。
となれば、今日の雨などはまさに梅雨の走りというべきだろうか。
雨と言えば気になるのが足もと。
とくに現役時代は雨靴で出勤というわけにもいかず、いきおい革靴となるが、一日中履いてるものなので快適さを保つことがポイントとなる。
そのなかで皮底の靴は通気性もあって晴の時は蒸せなくていいのだが、いったん水を吸ってしまうと重くも感じるし、それがひどいとなんとなく湿っぽく感じることがある。
逆に、合成底のものは水は通さなくてよいのだが、蒸れるのが欠点で使う気になれなかった。
その後、水蒸気は通すが水は通さず、しかも軽いという便利な素材が開発され、普段使いには非常に便利である。ただ、デザイン的には皮のものにはとうていかなわないので、ここというときは履き慣れた皮底の方を選んでしまう。だいいち靴音が違うのである。あの足を運ぶたびこつこつと響く音には背筋をただせと言われているような気がするのである。