潮の匂い

おとなりの弁当のぞく遠足子

園児が何十人も、

今日の吟行は大阪・住之江公園だ。
名前からしてなにやらゆかしい。
が、昨年の台風の影響だろうか、大木が被害にあったまままだ完全には復旧しておらず、苑の手入れも十分ではないようだ。こんなところに何となく今の大阪行政の閉塞感をみるような思いである。
そうは言っても句材には事欠くこともなく、園児の遠足、球場の大学対抗戦、それも統合がうわさされる府大、市大だ。外野も草萌えはじめて、やがて緑の絨毯の季節だ。

道路をはさんで住之江ボートレース場。そう聞けば、風にも潮の匂いがしてくるような。奈良に住んで潮の匂いはずいぶん長いことかいでない。

ばか広

野遊のボール蹴返す古墳かな

広々とした古墳公園の週末は家族連れで大賑わいとなる。

県内にこれといった動物園、遊園地、テーマパークの類いもなく、しかもここは県営の無料公園ということで天気がいいときは平日とはうって変わっての人出である。芝生の丘、たいていは古墳跡だが、にはシートを広げた家族、グループが半日、あるいは一日をボール遊びや凧揚げなどで過ごすのである。
舗装路は腰に響くので、できるだけ土の上を歩くように道を選んでいると、すると、遊びに来た家族やグループの間を抜けることになるが、どの家族ももちろん楽しそうである。とくに幼児がよちよちと傾斜ある丘を歩いたり駆けたりを見るのはこちらまで楽しくなる。
丘のいちばん上から四方を見渡すと、盆地を囲む山々が目に入り疲れた目も癒やされる思いである。
なにせ広いから駐車場が満杯になるまで人が押し寄せても、テーマパークのような過密感はまったくないところがまたいい。

模糊として

国境(くなさか)のみな霞して山ばかり
霞して金剛山(こごせ)葛城山わきまへず

昨日の光景。

晴れれば毎日のように遠くがけぶるように靄がかかる。
山稜の襞もみな靄のなかで、盆地西部にでんとすわる葛城山や金剛山の境界も分からなくなる。
北の方をみれば佐保丘陵、奈良坂など京都に接するあたりも模糊としている。
こうなると冬の間あれほどくっきり見えていた高見山は今はすっかり靄のなかである。

ばか陽気

宝くじ寄贈ベンチにあたたかし

ばか陽気といっていいような。

木洩れ日のベンチに腰掛けようとしたら、ベンチには宝くじ協会寄贈というタグが打ってある。
暖かくても、さすがにベンチにしばらくいると汗は引いてくる。
万歩計を見ると6千くらいを指している。あと4千目指してさあひとがんばり。
今日は雉子、鷹ともに遭遇せず。

命を宿す

春の日を透かしあらはる隠れ沼

普通なら気づかない小さな沼が、その存在を訴えている。

いままで全く気づかなかったのに、枯れ草のすきまから眩しい光りを返しているのだ。
やがて草が茂ると再び見えなくなってしまうと思われ、束の間の景色に違いない。
見たところ、小鳥の水浴びも出来そうなくらい水量もありそうだし、生きものだって棲息しているに違いない。
思いもよらないところで小さな命が育っているのだ。

初桜

春雨の暗きに深き平群谷

雨の中、平日の都会に久しぶりに出た。

途中雲が低くのしかかって平群が静かだ。生駒も半分くらいは雲に覆われている。
竜田川(実態は生駒南から平群谷を下ってくるので平群川と言ったほうが分かりやすい)をさかのぼるように電車は生駒に向かい、途中隘路になったような渓谷が深く切れ込んだあたりが、役行者が修行したと伝わる女人大峯山「千光寺」への上り口となっている。
ここは春の新緑、秋の紅葉がすばらしく電車で通過するたび窓外に目を転じて楽しんでいる。はしなくも今日その渓谷を渡るあたりで勸請縄がかけてあるのを発見して驚いた。あっという間のことだったので何をどこから守ろうとしているか、何も分からず仕舞いだったので、あらためて訪ねてみようと思う。
帰りには雨がやんでいて、生駒の中腹から盛んに雲が湧き、平群谷は春の地熱に包まれているような柔らかさがあった。

山ひとつ越えて家路の初桜

駅に着いたら朝には気づかなかった桜が一輪開いていた。染井吉野はまだだが、早桜はもう始まっている。

雉走る

立姿佳き裸木に囀れる

ここんところ囀りを聞くようになった。

今日の主は櫟の大木のホオジロ君。
最初はこの木に啼いていると分かっていてもなかなか発見できなかった。何人かが木を見上げるようにして通り過ぎてゆくが、そのなかのご夫婦があそこだと教えてくれて、ようやく枝でうまくカムフラージュされてるのを見つけることができた。
特別史跡「巣山古墳」の濠でも、鳴き交わすようなカイツブリの番。

今日は久しぶりに多くの鳥たちが顔を見せてくれて愉しい半日だった。
なかでも、10メートルほどの距離をおいて菜畑から赤い鶏冠が出て、やがておそるおそる出てきた雉の目と目が合ったときの彼の緊張ぶりがおかしかった。「雉も啼かずば撃たれまいに」ではないが、人家に近い田や畑をぶらり散歩していて危険な目に合わない方がおかしく、人が来ても飛び去るでなく、用水路に隠れたり菜畑に逃げ込んだり、その何となく不器用な生き方に声援したくなった。

粗鋤の田を蹴り雉子のひた走る