ぷかぷかと

不揃ひの柚子お手玉に冬至風呂

明日は冬至。

今日がそうかと、柚子風呂のために摘まずにおいた柚子を採ってきたら、家人にきょとんとされた。
庭の柚子だから、大きさ、形も色もさまざま。それが湯舟に浮かぶといろいろ触って遊びたくなる。
お手玉もいいが、お湯でふやけた玉はすぐに崩れてしまって風呂の水は濁るばかり。
それでもお湯にぷかぷか浮いているのを見ると、つい手がでてしまうのだ。

締め切りあれこれ

コマーシャルなしのドラマの湯冷かな

NHKスペシャルだの、地上波初公開の話題映画だの、夢中になるのはご用心。

水洟がまだ止まらなくて、くしゃみもよく出る。
軽い風邪症状だが、不摂生な生活では治るものも治らない。
今日は、ちょっと暖かくて、今年最後のチャンスだと冬タイヤに交換し、エア調整のついでにバッテリーを交換してもらい、その足で床屋へ。
たっぷり使えた一日だったが、雨に打たれもして鼻のぐすぐすは続いている。
一日一句をひねり出すのも、最近はもっぱら風呂場となっていて、季題だけ先にまず決めて湯舟でちょいちょい。
月末の締め切りも迫って、さあ大変だ。

昭和レトロ

ストーヴの石油臭して店を守る

通りにまで石油臭がもれてくる。

あきらかに石油ストーヴの匂いだ。
どうやら間口一間半をすべて通りに開けた駄菓子屋からもれてくるらしい。ガラスケースの内側にストーヴを置いて店番しているのだろうが、のぞいてみても人影はなかった。
しゃれた店もぽつぽつ見られるようになった奈良町だが、やはり昭和レトロの匂いがたちこめる店の佇まいもまたほっこりするものだ。

掃除今昔

師走とて軒に吊してはたき売る

昔ながらの荒物屋だ。

ならまちをぶらぶら歩きして見つけた店。
間口一間半ほどの店先に、いかにも年の瀬らしい商品が並ぶ。なかでも懐かしいのは「はたき」である。
掃除のいまどきは掃除機全盛で、場合によってはロボットに任せる時代でもあるのだが、気になって仕方がないくせになかなか手が届かないのが鴨居、窓枠、家具など高いところの埃。化学繊維で出来た便利なものがあって隙間などにとどくクリーナーもあるが、高い部分はやはりはたきが一番。これを毎日かけてやると、大掃除の時にわざわざ雑巾をかけることも不要になる。
買って帰ろうか、どうしようか考えたが、家人はこういうものにはあまり関心なさそうなので見送ることにした。

お渡り式の日

後背の山は枯れ果て新堂宇

ならまちを歩こうと市内まで。

興福寺境内に警察のバスが駐車しているし、三条通には屋台の数が普通でないので何かと思ったら、おん祭のお渡り式が終わったばかりだと知った。
おん祭のことは頭からすっぽり抜け落ちていたので、午後からのんびりと出かけたのだが、それが失敗だった。
お渡りの演武を終えた宝蔵院流の面々などが続々下ってくるので、御旅所もパスして浮見堂へ出、ならまちへ向かう。
最後はもう一度興福寺に戻ってきて新しく落成なった興福寺中金堂を見上げる。堂々とした五重塔がそばにあるせいか意外に小さく感じた。鴟尾も風鐸も当然ながら金ぴかである。
目を転じると、若草山には夕日がさして、枯れ山が見事な金色に染まり、新金堂のまぶしさに負けてない。

天の階

西に日矢降りて飛鳥の片時雨

毎日のように葛城から二上にかけて日矢が降る。

厚い雲が葛城越えをするときよく見られるシーンだ。
いっぽう、東の方はと見れば多武峰あたりが時雨雲にすっぽり包まれている。
盆地における時雨とはたいてい片時雨で、東が降れば西は晴、西が時雨れば東は晴という具合いで、盆地全体が時雨ということはない。むしろ、そんな場合はもはや時雨ではなく、ただの「雨」なのであるが。

朽ちるに任せ

山茶花の誰もとがめず散りゆける
山茶花の錆もふくめて愛でにけり

もう一か月以上になる。

いつ通ってもこの道は山茶花が散り敷いている。
上を見れば、大きな木に純白の花を誇っているのもあれば、盛りを過ぎて茶に変色してもなお頑張って散らないでいるものもある。
これが山茶花の咲きようなんだと思う。
散っても掃く必要はなく、このまま朽ちるに任せておくがいい。