今宮戎神社

遷り來てまづは浪花の初恵比寿
大阪の熱気のここに初恵比寿
大音声も大阪らしや初恵比寿
福笹の夫婦睦まじ駅の前
福笹のうなじくすぐるすれ違ひ
半吉のみくじ肯んず初恵比寿

初めて今宮の十日戎を観に行った。

「お参り道」と大書された順にしたがってゆくと、一方通行の狭い道がさらに幅狭く感じる。両側に夜店が並ぶからだ。見たことも食べたこともないようなものが並んでいるし、すでにして大阪らしき熱気があふれる。
境内に入ると、これは何だという大音声の楽がスピーカーから流れる。例の「商売繁盛、笹もってこい」のかけ声だ。
これにはちょっと気圧される思いで、参拝に並ぶにも気後れしたので、福笹を授ける福娘たちを見物することにする。
お詣りもしないで帰るのも何だから、ふだんは全くやらないおみくじを引いてみたが結果は可もなく不可もなし。

レプリカ

荘厳の古りにしよけれ古都の春

興福寺の新中金堂をながめてつくづく思った。

古都・奈良のよさはその「古びよう」にあるのではないかと。
ぴかぴかの黄金もいいが、まぶしすぎてどこか成金趣味を覚えてしまうのだ。そこへいくと、やはりくすんだ金色のほうが心が和む。唐招提寺金堂の三尊像、薬師寺東院堂の聖観音像、などなど。
ニュースによると、修復中の薬師寺東塔の水煙が新しく作り替えられるという。あの凍れる音楽の象徴とも言える水煙が、新しくお目もじかなったときには、もはやレプリカにすぎないものとなる侘びしさ。もう風雪に耐えないのなら止むをえないとは思うが、どこか残念という思いは拭いきれない。せめて、塔とバランスのとれた渋い水煙が起ち上がることを望むものである。

「新年」という季題は非常に便利な、といったら語弊があるが、季語としてはたいへん幅広いものを包含する季語である。
傍題には本意である「年の始」をはじめ、「年改まる」「年頭」「初年」「年立つ」「年迎」「年明く」のほか、陰暦では「春」と同時期にくるので「初春」「明の春」「今朝の春」などがある。これを応用して「〜の春」となると無限に使い回すことも可能である。下手に使うと安直に流れて失敗もするが、掲句ではどうだろうか。
これは年賀状にでも使えそうな句なので来年用に取り置くかとも思ったが、それまで生きてる保証もないのでさっさと公開します。

五十歩百歩

涸れさうで涸れぬ懸樋の水細し

初句会は東大寺、春日大社周辺。

興福寺の新中金堂はいかにもピカピカで誰もが詠むだろうかと、あえてひとり逆のコースをたどった。
まずは東大寺へ向かう途中で吉城園に入ると、ここには句材がいっぱいで句帖にはたちまち十句をあまるものを得られた。五句出句の句会なので、これ以上場所を変えなくてもよさそうにも思えるほどだ。
吉城園は茅葺きの茶室が有名で、茶庭、つくばい、四阿、それぞれに句材がある。
ただ、出句にするのを選ぶのに迷うのはどれも五十歩百歩、帯に短し襷に長しのようなものばかりなのには参ったが。

草木もほける

返り花散るを忘れて雪柳

雪柳が花をつけたまま年を越してしまった。

葉ごと枝全体が茶色に化して、それはきれいな末枯れぶりだ。
それにしても変な年である。ブルーベリーの一本も紅葉したまま葉を落としていないし、枯れるものが枯れないで、散るものが散らないで。年末の寒波があったとは言え、やはり全般に暖かくなったのであろうか。

隠り飛ぶ

山茶花にこもれる鳥の影動く

高さ8メートルくらいはありそうな山茶花。

ここは鳥がこもり飛んでいることが多い。花の蜜が目的のメジロや、シジュウカラなども姿を隠す目的に利用しているようだ。
大きな木だから、中にこもってしまうと気配はしてもどこにいるのか分からなくなる。ところが、今日たまたま日が傾いた時刻に発見したのだが、木を貫く影ができてそこに枝を移るかれらの動きもはっきりととらえることができたのだ。
この驚きを何とか句にしようと格闘するのだが、なかなかうまくいかないものだ。

和らぎ空間

半刻の障子明りをこよなくも

狭いながら純和風に作ってもらった部屋があった。

隣家と接した東南向きの部屋であり、南にも家があったので、とくに冬などは日の差す時間は短いものである。
だが、日が当たると障子に閉ざされた空間はすぐに暖まり、しばらくは猫のブラッシングなどして緩い時間が流れる、至福のときとなる。
いまの家でも猫たちは和室が好きである。日がさんさんと降り注ぐ日などは、炬燵にもはいらず翳る時間がくるまでその場所で過ごしている。
ひともまた、畳に寝転がって猫の目線で庭を眺めているのである。板張りや絨毯でもない、畳の間というのは掃除しやすく、いつも乾燥していて、それでいてどこか暖かく清潔で安心して寝転がっていられる空間なのである。

風のない日

堆肥ごと畑を持ち上げ霜柱

畑の柔らかい畝を霜柱が持ち上げていた。

ここ数日毎日のように厚い霜が降りる。
年末に球根を植えた花壇にも皹がはいるほどびっしり霜が降りていて、土の成分がのぞけている。
木の下など日が当たらない部分は午後になっても解けきらないようで、土が浮いたままだった。
ただ、気温としては久しぶりに十度を越え、風もないので散歩には心地よい日和であった。こんな日は決まって朝の寒さが厳しいのだ。いわゆる放射冷却の底冷えである。
あまりに日和がいいので、凧揚げの子供たちは走れど走れどなかなかうまくいかないので、ちょっと可哀想だったが。