水の春

あめんぼう影をまとへる水の暈

いったい、あめんぼうにどんな意志があるのだろうか。

あのいきあたりばったりの動きを見ているとそう思ってしまう。
水底には渦を巻いたようなニナの軌跡がびっしりと。
水の中、上にも春がきた。

慌ただしく

自分だけの標準木に花みつけ

ひそかに自分の桜と決めている木がある。

今日そのマイ標準木が開いたのを確認した。
大阪は開花宣言したらしいが奈良はまだ、明日も無理だろうと言うが、同じ奈良でも環境が違えばこうもちがうものか。

東京では今日一気に満開宣言という報に驚くが、こんな暖かい日が続けば当地もすぐに満開を迎え、短い桜となるかもしれない。
何との慌ただしいことである。

古武士然

花辛夷背骨ただして立ちゐたる

緑道が白一色である。

あれは辛夷か木蓮か。
遠くからでは見分けがつかない。
近寄ってみても悲しいかな言い止められない。
運良くちょうどその二本が並ぶところに出た。大きいのとちょっと小振りなのと。一目瞭然である。
通りすがりのグループもそれに気づいたようである。
花はこのようにまるで違う大きさで分かるようにはなったが、木の骨組みとなるとまったく駄目だ。
背筋が一本すっくと立って、まるで古武士の風情であるところも瓜二つである。
思わず猫背をただして相まみれずにはいられないほどである。
それにしても、緑道が明るい。

あのときの電話が最後春愁ひ

人生に悔恨というものがある。

もちろん、そんなものなどないと言う人もいるだろう。
いくつかある「悔い」のなかで、毎日のように心の隅でつぶやいているものがある。
学校を点々として親友というものがもてなかった僕にも、中学高校にわたって互いの家を行ききしたりして深くつきあうことができる友ができた。高校以降は別々の道を歩んだのだが、男とのつきあいなんてあっさりしたもので、帰省のおりなどたまに会おうかという具合でべたべたしたものではない。
ところが、人生の苦境に面したときなど何も言わずとも誰よりも心配してくれて電話やら、忙しいにかかわらず直接上京してあれこれケツをひっぱたいてくれて、元気をもらったものだった。

そんな気持ちの底でつながっているような関係が突然崩れたのは40代半ばのことだろうか。
ある春の夜何年ぶりかで電話がかかってきて、しばらく入院していたが無事退院したので会いたいと言うのだった。
僕も全国を飛び回っている仕事なのでその途中にでも寄るよとか答え、その後しばらく忙しさにかまけて忘れてしまっておるのだった。

ところが、ある日奥さんから彼がなくなった知らせを受け取って目をうたがった。
入院と言ったってそんなに重い病気とは夢にも思わなかったのだ。むしろ、商社の仕事で無理に無理を重ねた体をしばらく休めさせるにちょうどいいくらいに考えていたのである。

大切なものは失ってからでないと気づかない。
すまなさと悔やんでも悔やみきれない気持ちが澱のように心の底に沈んでいる。

送り出す

新入生まずは口座をはなむけに

郵便局で微笑ましい光景をみた。

齢格好から見れば高校を卒業したとおぼしき子が両親に伴われて新しい口座を開いている。
雰囲気としてはどこか遠く離れた大学に入学するというので、さしずめ仕送りを受け取る口座をまず開こうという場面とみえたが、どうだろうか。
半世紀以上も前のこと、つまり自分の高校卒業した頃や、子供の大学入学が決まり家人と二人であれこれ送り出しの準備をしてやった20年以上も前のことが瞬時にあたまをよぎって懐旧にひたったのである。
引っ越し業界も人手不足で、あの子の荷物はきちんと入学式前に届いただろうか。そんなことも気にかかる春である。

ニュースから

三セクのレールつながり鳥帰る
すめらきの慰霊の旅はも鳥帰る

テレビを見ていて浮かんだ。

三陸リアスラインが直結して、またひとつ復興のシンボルが増えた。
あの日以来思いは東北にあるせいか、鳥帰るルートにある三セク鉄道の成功を祈らずにはおられない。
また、もうひとつの番組が平成天皇の30年史であり、国民とともに歩まれたお心が痛いほど胸に響くのであった。鳥が北へ帰る頃にあわせて平成が幕を閉じる。いまはただよき年号の幕開けを待つばかりである。

進化

つちふるやシルクロードの最終端

外へ出るとあたりがもやっとしている。

このもやもや感はあきらかに霞のものではない。
家人に聞くと、やはりバルコニーのものなどには黄色いものがかすかに積もっているという。
ニュースでは言わないが、黄砂ではないだろうか。
ただでさえ花粉アレルギーで腫れぼったい瞼をしているのに、細い目がますます細くなってしまうような気がしてならない。
モンゴル系極東人には一重まぶたが多く、顔もひらべったくできているが、これは太古はるばるアフリカからたどり着いた先祖が氷河期に進化して結果だとチコちゃんに教わった。そのでんでいけば、黄砂にも耐えていける顔立ちともいえる。
なにしろ、平べったくて表面積が少ないのだから、砂が溜まる部分も少ないのである。
氷河期に進化して、いまは黄砂にも耐えられるように進化した極東モンゴル系人種なのであることを誇りに思おうではないか。