柵に接して

おしろいが咲いて列車に揺れる家

都会では往々にして軒を接するように電車が走る。

多くが高架に変わっているが、いまだに昔のままの路線も多い。それらは、たいがいが下町を走るわけだが、どういうわけかそういう家にはごく狭い場所にも花を咲かせていることが多い。
駅間も短く、スピードもあまり出さないから、満員の車窓からそれらの花を楽しむのがささやかな通勤の彩りである。
秋桜もいいが、やはり、この季節は白粉花がもっともしっくりするような空間である。

半世紀前のこと

鳶口に伐竹継いで杣の衆

村の外れから伐ってきた青々とした竹を燒く。

燒かれた青竹から油が滲み出て、やがて薄茶色の艶を帯びてくる。
火で焙れば竹の腰が強くなるのだ。それに、燒かれてほとぼりの冷めぬ間なら曲がった節を矯正もできる。
盆休みも終わってまた日常が戻り、今日から山の切り出しなのだ。
鉈を帯びた腰には野沢菜で巻いた目張りずしをつめた弁当も巻き、手には焙った竹に継いだ鳶口を握っている。
一同が揃うとめいめい三輪オートの荷台に乗って今日の山へ向かった。
今から5、60年ほど昔のことだ。

この機に乗じ

熱出して一房まるとマスカット
大阪を越ゆる山辺の葡萄園

卵なんて昔は病気のときくらいしか食べられなかった。

バナナも同類にはいるだろう。
まして掲句のような、マスカットなんて庶民の口には遠い遠い存在だった時代。
熱出せば、いいところが母の作ってくれた林檎のすりおろし。
それに、葡萄と言えばせいぜいデラウェアで、それも昭和30年代も後半からじゃないだろうか。いまでは、いろんな種類がふえてよりどりみどりだが、それでも大粒種となるとなかなか高価である。これを一人で平らげるというには勇気が要って、ほとんどが家族みんなでつまむのである。
寝込んだのをいいことに見舞いの葡萄がたちまち病人の胃袋におさまったか。

名門は消えるのみ

昭和にはありし社紋の秋扇

羽振りをきかせた会社の扇子をいまだに持っている。

古い鞄にしまったまますっかり忘れていたのを偶然発見したものだ。
よく見ないと分からないほど幽かな企業ロゴが隅に印刷されているだけの簡素なつくりだが、かえってそれが老舗の気品をたもっているようにも思えるのだ。

急降下

禅寺に秋蚊打ちをる在家かな

気温が急降下して蚊がおとなしくなったようだ。

どこか弱々しく、簡単につぶすことができるようになった。
唐招提寺では、高名なお坊さんが弟子たちに殺生を戒めた故事から有名な「団扇まき」の行事が生まれた。
修行の徒でもなく俗世の人間としては、まるで親の敵のように蚊や蝿、ゴキブリの類いを追いまわしているが、せっかくの貴いお詣りも不信心なことである。

BGM

足湯して虫聞く夜とはなりにけり
足湯して湯舟にしずむ虫の夜
足湯して首まで浸かる虫の夜

昨日今日と急に季節が進んだ感じで、体温に近い温度にしておいた湯舟はさすがにぬるい。

今夜から冬にかけて徐々に設定温度を上げてゆくことになる。
それにしても、虫の声が聞かれないのはどうしたことだろう。
いつもの年なら、湯舟で虫たちをBGMにゆっくり手足を伸ばしていたものだが。
外へ出れば、隣の空き地からはかすかに聞かれるが、家の中にいてはまったく聞こえてこない。
虫たちにとっても苛酷な夏だったろうが、遅生まれの子たちが戻ってきてくれたらいいがと思う。

蔵前の男前

番傘の出待ちかきゆく勝相撲

阿炎と言うのは若手だが、なかなかの人気力士である。

今日は四股のきれいな同志の遠藤との対戦。
長いリーチを活かして、遠藤をものともせずあっというまに土俵下に突きだしてしまった。
どうだと言わんばかりに胸を反らせて、力水をつけたかと思ったら、特注の番傘(蛇の目かもしれないが)をかざして大雨の国技館を後にしたそうだ。
ビニール傘で済ますお相撲さんもいるなかで、遠藤の蛇の目、番傘も粋だが、阿炎というのもなかなかの洒落者のようだ。