柄の痩せし斧なだめては冬構
間伐材寄進のありて冬構
薪ストーブは暖かいらしい。
その暖かさは朝まで持続するくらいだと言うから驚きだ。
ストーブで煮炊きもできるし、薬缶に湯を沸かせば、室内の湿度を保つに効果大きいし、それがまた皮膚感覚として暖かくも感じるものだ。
ただし、そのためには重労働の薪割り、薪積みは欠かせないし、忙しい現代人にとっては憧れではあっても二の足を踏んでしまうのである。
スウィッチひとつで床暖、エアコンが自在に動く快適さもまた捨てきれない。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
柄の痩せし斧なだめては冬構
間伐材寄進のありて冬構
薪ストーブは暖かいらしい。
その暖かさは朝まで持続するくらいだと言うから驚きだ。
ストーブで煮炊きもできるし、薬缶に湯を沸かせば、室内の湿度を保つに効果大きいし、それがまた皮膚感覚として暖かくも感じるものだ。
ただし、そのためには重労働の薪割り、薪積みは欠かせないし、忙しい現代人にとっては憧れではあっても二の足を踏んでしまうのである。
スウィッチひとつで床暖、エアコンが自在に動く快適さもまた捨てきれない。
短日や小屋に口籠もるご神鶏
室生無山(むやま)の西光寺の樹齢450年の銀杏が見事だというので午後から出かけた。
山の中腹にあるので、駐車場から坂を登るとそびえるように大銀杏が黄葉している。
半ばは散ったとみられ、境内への石段、境内、築地塀にはびっしり落ち葉が敷いている。
南天にも降り積もって、赤と黄のコントラストが美しい。
周囲を見渡すと、見事な雑木紅葉の山が視界を占める。このあたりは植林をしない山がほとんどなので、里は紅葉紅葉の世界に包まれている。
網膜の神経が赤と黄に麻痺したかと思うほど堪能したついで、市の木ともなっている天理の銀杏並木を見てみようということになった。10年ほど前から、かつて強剪定を続けてすっかり樹勢が弱ったのをあらため、間引き剪定に切り替えたら見事に復活したということだった。すでに4時を廻っていたが、せっかく天理に来たので最後は石上神宮へ。家人に神鶏の烏骨鶏などを見せるためだが、普段なら境内を闊歩しているのが見当たらない。
声のする方へ行ってみると、すでに鶏舎におさまったあとで、暗くなった小屋の中にうごめく影がある。夜はおとなしく保護されているようだ。
終日曇りでただでさえ日暮れが早く感じるのにくわえ、鬱蒼とした参道、境内には灯籠に灯が点り、参拝客はもうまばら。
日は二上山よりずっと南に沈み、初冬の趣きを濃くする夕刻である。
上諏訪は飲めずなりても新走
三輪神社に大杉玉がかかったという今日のニュース。
ということは、明日は恒例の「酒まつり」だ。
三輪神社の公式ホームページによると、
「酒造りの神様と仰がれるご祭神の神徳を称えて、新酒の醸造の安全を祈る祭典で、全国の酒造家・杜氏・酒造関係者が参列します。祭典後から醸造安全の赤い御幣と酒屋のシンボル「しるしの杉玉」が全国の酒造家・醸造元に授与されます。」
杉玉には「しるしの杉玉」と書かれた札が吊られ、全国の酒蔵に翻ることになる。
掲句は、恩師の毎年恒例の年末の買い出しにハンドル担当で何回かお供したときの思い出深いエピソードのひとつ。
決めた店の味噌と新酒を買い込み、諏訪大社下社門前では塩羊羹。ほとんどが贈答用の逸品だが、ごく親しい人たちへ心を尽くした歳暮である。
銀杏散る荒ぶる神の庭にかな
銀杏散り山寺いよよ寂びゆける
黄落のゼブラゾーンの轍かな
初瀬の素戔嗚尊神社の銀杏が遠くからでも見える。
与喜山の麓にある社の境内を埋めるように落ち葉が敷く。
大木であり、かつ大枝を四方に延ばしているので、太い幹を中心に同心円を描くように散るのである。通常、銀杏の大木ともなると途中で折れたりして樹形を保つものは少ないのだが、ここの銀杏は円錐形の姿が見事である。
この銀杏の黄色は長谷寺の舞台からもはっきりとよく見えるので、お詣りした後はどうしても足を向けたくなる。訪れる人もまばらで大銀杏の黄落を独り占めできるのも、またぜいたくなものである。
陰暦10月、神さまが留守とあって、ひとり大銀杏が留守を守っているかのようだ。
朴枯葉ところによりの雨は急
しぐれの季節となった。
天気予報には「ところにより雨」と、はなはだあいまいな言葉があって一般生活には役立たない気もするのだが、気象庁によれば「予報発表区域の半分より狭い範囲で雨が降ることを表す」ということだそうだ。
少なくとも、雨の確率は1/2より低いことは分かるが、それなら「降水確率」で表すのとどう違うのか。あんまり深く考えてもどうせ予想の話だから、あとは自分の経験から判断して行動したほうが納得いくというものだろう。
さいわいにして、テレビの天気情報、ネットで民間予報会社などの情報が簡単に得られるので、それで結構あたることが多い。
朴のあの固い枯葉は、すれる音、風に騒ぐ音、雨に当たる音、踏まれる音、いずれも大きな音が出る。降り始めなどの乾いた音を聞きつけると、いち早く雨が降ってきたことを教えてくれる。
冬めくやママにすがりてバスを待つ
ママの手にすがって幼稚園バスを待つ。
隣の空き地前が幼稚園バスの停留所。8時前になると賑やかな声でそれと分かるのだが、最近はそれと分からない日がある。
いつもなら子供どうしいつも活発に遊んでいるのに、最近は言葉少なにじっとしていることが増えた。
お迎えの先生の挨拶も、どこかこの季節らしきもの。
吐く息が白くなるにはまだ早いが、子供たちの動きをみているだけで季節の変化が感じ取れるのだ。
明日摘まんと思ふ柚子黄のさかりかな
目に見えて黄が濃くなってきた。
そろそろ収穫時期かなと思う。
姫柚子の小粒だが、出来としてはまずまずなのではないか。
捥ぐのは私の仕事だが、ジャムを作るのは家人だ。