綿虫日和

風鎮の杜のざわめき神迎

十一月も末。

龍田大社まで足を伸ばしてみたが、終日曇りで風もなく、まさに綿虫日和。
案の定、行くところ曲がるところ、どこでもふわふわと綿虫が泳ぐように浮いている。
人の目の高さを飛ぶせいか、ぶつかりそうになるが、目纏のように目に入ることはない。

龍田大社の創建は崇神で、天武が始めたという七月の風鎮際の手花火でも知られている。
龍田越えで難波から帰ってきた虫麻呂が後から来る主人のために、まだ桜が散らないよう、風鎮めの祭をしようという長歌にも詠われており、その万葉歌碑が舞殿の横に建立されていた。まだ日が浅い感じがしたが、広く取った敷地にはツツジの返り花も。

紅葉もいよいよ終盤となってきたが、さすが龍田さんのことだけはある。
残り紅葉には濁りも少なく、何とも言えない気品さえ感じることができた。

余念なく

初霜や園児のママの立ち話
初霜に始まる晴レの日でありし
初霜や喪中葉書の日々届き

朝八時前つぎつぎと親子がやって来る。

更地の隣接地前が幼稚園バスの停留所。新団地のせいか子供が多く、とりどりの色をした幼稚園バスが行き交っている。隣りに停まるのはその一つで、舗道あふれんばかりに賑やかになる。
子供たちを見送ったあともママたちは立ち話に余念がない。初霜のおいたところにいることなどまるで眼中にないように。

予報によれば明朝は2度。初霜が見られるかもと言う。

香を待つ

花柊猫だけが知る通り道

あのギザギザの葉の下を抜けて隣家から猫が出入りする。

太めの猫だが、体を低くしてくぐるようだ。
柊は今年も花をいっぱいつけたようだが、まだ開ききっていないせいか、匂いはさほどまだ強くない。

花が咲き始めたら、次は香りを待つことになる。

限りある輝き

御造替なつて本朱の冬日かな

丹塗りの句は先に詠んだが、再チャレンジ。

本朱とは硫黄と水銀の化合物からなり、時間の推移とともに渋味のある色に変化するので「神さび」の趣を強くするとされるが、本朱だけを使うのは春日の本殿だけという。一般には、鉛入りの鉛丹や酸化鉄を含むベンガラなどの顔料が使われるのが一般的である。
水銀の使用は世界的に見ても厳しい制限があり、過去60回休みなく続けられてきた式年造替のためとはいえ、塗料を確保するのはより厳しいものがあろうが、何とか伝統を守継いでもらいたいものである。

白鷺城の白漆喰同様、まっさらな白や赤を目にすることとができる時間は限られている。今のうちに目に焼き付けておきたい。

これも冬迎え

フレームの朝に見つけし花芽かな

急に冷え込んできた。

朝の最低気温が3度と聞いて、庭のものを片付けることにした。
大方は部屋に取り込んだが、外に残したものには霜除けをかけてやったり、ビニール温室におさめたり。

マニュアル通り、先週吊した柿を揉んでほぐすことも忘れない。ついでに、ジャムにすると言うので姫柚子というのだろうか、花柚子が今年は小さな実をいっぱいつけたのを収穫。
朝は冷え込んだが、今日は気温も上がって終わった頃にはいい汗を掻く一日となった。

街道染めて

紅葉して大和名の山ことごとく

ちょっとした山にも由緒ありそうな名がついている。

それがことごとく紅葉に彩られて、盆地をどこに行くのも楽しいこと。
大和三山は当然として、桜井に至って左は三輪山、そして右手は鳥見山、さらにその先外鎌山。
やがて初瀬街道狭まりゆくところは朝倉宮跡。長谷の与喜山から吉隠に駆け上がる街道沿いの刈田も、いい色をして飽きさせることはない。
榛原の句会は、その道行きもまた楽しい。

乾いた雨音

朴落葉雨を確かむたなごころ
朴落葉打つ雨音の乾きゐし

まるで草履のように大きい葉である。

これが目の前に落ちていて踏むのをためらっていると、雨が降り始めたようだ。
手のひらを返して受けるようにしてそれを確かめると、間違いなく大木の枝をすかして落ちてくる雨がある。反り返るようにして形をとどめていた朴の落葉が乾いた音を返しはじめた。
葉を踏まないように避けながら通り過ぎることにした。