やり過ごすのがやっと

尿酸も宥めねばならず秋暑し

二八とはよく言ったもので、俳句の世界にも言える。

端的には、歳時記に収録される季語の数である。
「ホトトギス新歳時記(第三版)」を例にとると、二月は27ページ、八月は48ページ。七月の118ページに競べるといかに少ないかが分かろう。ただ、この歳時記では八月を立秋からのものとしているので単純な比較はできないが。
いずれにしろ、限られた季語の中から今日の季語を選ぶというパターンを繰り返していると、満遍なく選ぶというより偏りがどうしても出てしまう。
そして、この暑さである。今日で三日目だが、「秋暑し」にまた登場してもらうこととした。
この残暑をやり過ごすだけでも大変なのに、あれこれ持病を抱えていればなお暑さが堪えてくる。

西日厳しく

六畳に最期を看取る秋暑し
六畳に介護ベッドの秋暑し

なんか今年はほんとの秋がくるんかいなと心配するほど、「秋暑し」の句がいくつでも詠めそうな気がする。

別に八畳でも、十畳でもいいけど、暑い感じを出すためには六畳のほうがいいと思った。介護ベッドなどを入れればなお狭く感じるものだ。何より、病人など看取る対象を詠むよりは場所に拘ってみたのだのがどうだろうか。それは、できるだけ自分の気配を消して客観的な句にもしたかったからだが。
間もなく九月ともなれば西日はますます傾き、部屋のなかにまで容赦なくさしてくるようになる。簾をかけたりするが、それではとても追いつけない。駆けつけて来た親類縁者なども出入りしてさらに暑さが募ってくる。もともと暑がりだった病人なので、クーラーを強めに効かせたつもりでもまだ「暑い」と訴える。もう十分涼しくなってるよと聞かせても、半ば意識がとんでる病人の耳には届かず途方に暮れてしまう人たち。

実体験から多少脚色した句だが、母を見送って間もなく四年になる。

目にも暑く

虫害の山赤茶けて秋暑し

外出すると山のところどころが赤茶けている。

初夏の頃に気づいたのだが、初めはカシなどの常緑樹が葉を更新するときの若葉かと思っていた。
しかし、それにしてはちょっと色が濃すぎるかと思っていたら、ダジャレではないが、奈良に「ナラ枯れ」の被害が目立ってきたとニュースで言うではないか。
盆に会ったO師も、故郷の伊賀の山が痛々しいほど様変わりしていると嘆いていた。
この「ナラ枯れ」というのは、落葉広葉樹のミズナラやコナラを7月頃集団的に枯死させる「ナラ菌」と、それを媒介するカシノナガキクイムシという害虫がもたらす伝染病である。
放っておくと枯死した木に生んだ卵のサナギが来年にも羽化し、さらに被害が広がるのだという。

春日山はまだいいほうで、生駒山地、矢田丘陵、そして背にある信貴山などは惨憺たる状況を呈している。
毎年春になると樹木いっぱいに白っぽい花をつけて、山のボリュームがいっぺんに膨らむように見えたものだが、来年はそんな光景も少なくなるだろうと心配される。

撲滅するには、冬季の間に一本一本の木に潜むサナギを撲滅するしかなく、大変な作業になる。
菌と害虫が繁殖しやすい環境が増えてきているのが原因だという。そうだとすれば、温暖化との関係も疑ってみたくなる。
温暖化とは、台風の巨大化だけではなく地球全体の環境のバランスが狂うことなのだ。

「秋暑し」は「残暑」の傍題。
いつになったら暑さが収まるのだろうか

撃退

一撃で椿象落とし水鉄砲

カメレオンの水鉄砲はよく知られている。

唾液かなにかしらんが、口から吐き出す液体をふっかけては狼狽する獲物を一飲みにしてしまう早業だ。
それを真似たわけではないが、庭に見つけたあの臭いカメムシめをホースの水で飛ばしてやった。
一匹くらい飛ばしたくらいで何も変わらないのであるが。

おいし〜つくつく

五年目の寓居賑はし法師蝉

五年目の我が家を初めて法師蝉が訪れてくれた。

庭で羽化した跡はまだ見られないので、どこからか飛んできてくれたものだろう。
この透き通った羽根をもつ蝉は、目の前の木で鳴いていても、なかなか見つけにくいものだ。
結局、どの枝にいるのかを確認できないまま、次の木へ移ってしまった。

蝉が我が家で羽化してくれるまで何年待たねばならないのだろうか。

薄暮点灯怠らず

痛ましき事故の現場や秋の蝉

もうかなり標高の高いところだが蝉の声がする。

国道169号線というのは奈良市に発して吉野から川上村、北山村の隘路を這うようにして新宮に至る道路だが、川上村から下北山村の境界は台高山地と大峯山地を結ぶ鞍部のようになっていて、複雑なループ型のトンネルなど険しいルートとなっている。
先日そのトンネルの一つで火災事故に発展した事故があり、3人が亡くなったばかりである。
実際に走ってみて思ったのだが、とくに天気がいい日が要注意で、トンネル突入寸前はフロントガラスに日が差して前方が見にくく、内部がよく見えないことが多い。突入後も明るさの落差が激しくて、目が慣れるには数秒の時間が必要だ。
今回の事故もトンネル内がカーブしており、トンネルに突入した車がセンターラインを越え対向車にぶつかったのが原因だと聞いた。
衝突された車もとんだ災難だが、僕の推理ではおそらくヘッドライトを点けていなかった、あるいは出口に近いということで消していたのではないか。もし点灯していれば、いくらトンネル突入直後眩しいとはいえ対向車は気がつくはずだからである。
長いトンネルでも点灯せずに平気で走っているドライバーが結構多いが、トンネルにおけるヘッドライトの役割を十分認識してない、言ってみれば愚かなドライバーとも言える。薄暮になっても無灯火で走る輩もまた同じである。自転車の無灯火も他者からは見えにくいという意味で同罪である。
点灯は早ければ早いほど身を守る。このことを胸に刻んで命を大事にしたいものだ。

次はパラリンピック

凱旋のメダル掲げて爽やかに

オリンピックが終わった。

帰国した選手の会見が開かれているが、当然メダルをとった選手たちの表情は明るい。
なかには祖国を10代の頃から離れて孤独なトレーニングを積んだ選手が、思いもかけず銀メダルに輝いたことには感銘を覚える。
自国の甘やかされた環境ではなく、世界に成長のチャンスを求めるチャレンジ精神は賞賛に値するし、このような事例をみるにつけ経済大国だからと言って大選手団を派遣しがちな姿勢には違和感を覚えてしまうのだ。

次はパラリンピック。不屈の闘魂を見せてもらおう。