大きな供物

大師堂真中に座して大西瓜

西瓜というのは夏の食べ物というイメージが強い。

しかしながら、秋の季語だとされている。
「瓜」が夏の季語であるので、いったいその違いはどこから来るのであろうか。
歳時記によれば、昔から七夕などに供えられるものであるからとしているが、西瓜提灯などが盆のイメージに沿っているからかもしれない。
いずれにせよ、昼灯なき暗い本堂に目をこらしていて発見した光景である。大師への信仰に厚い檀家からの篤志であろうか。

尾を引く声

初蜩聞きとがめては朝の井戸
蜩に風呂に水張る夕べかな
大庇下に座しては夕蜩
山里の昏るるは早し夕蜩

蜩の声を聞けば秋の足取りを肌で感じることができる。

朝まだきの鳴き始めであったり、暮れゆく夕の鳴きおさめどきには特にその感を深くするものだ。
住宅地にあってはなかなか耳にする機会が少ないが、ちょっとした里山に行けば今頃は大合唱。
長々と尾を引きながら、初秋の夕暮れを演出してゆく。

気分だけでも

ヨーグルトだけの朝食秋涼し

連日の暑さで疲れた胃には、食事のルーチンを変えてみるのがいいかもしれない。

いつもの朝食はコーヒーを一口すすって、野菜サラダをたいらげ、そのあとヨーグルト、そして最後はトースト一枚がいつものワンパターン。
そこで、今日はまずは冷たく冷やしたヨーグルトから始める。リズムを変えることによってまだ寝ぼけた体に喝を入れてみる。
実際には、プレーンヨーグルトだけでは寂しいのでキューウィものっている。
滑らかな舌触りや喉ごしは、起き抜けの口や喉、食道にもひんやりと気持ちいい。いっときの新涼を楽しもうというわけだ。
どうせ一日エアコンのなかに居るわけだし、それだけでもう十分なのだが、やっぱり口寂しいので残り全部もいただくことに。

「秋が涼しい」のは当たり前だが、俳句の世界では「涼し」は夏の季語。「新涼(傍題に秋涼)の」本意は秋初めて感じる涼しさである。夏の暑さのなかの一時的な涼しさとは異なる。

雪形と名づけた男

戦友の許に発たれて盆の月
戦友をすべて見送り盆の月
常念の黄色いテント盆の月

高山蝶に魅せられた男がいた。

教師をするかたわら常念に通いづめ高山蝶の生態を初めて明らかにした功績は大きい。
画布いっぱいに描かれた、手描きの写真よりも精細な蝶の絵は圧巻である。
蝶を追う一方で、山の写真もまた素晴らしい。「雪形」という言葉を生み出したのもこの男、田淵行男である。
生前に一度だけお会いしたことがある。隔月にいただく原稿のお礼を兼ねた取材旅行だったが、同時にお会いしたご夫人は「濱」の同人として句集を出されるなど、ともに品格あるお人柄に魅了されたことが懐かしい。

安曇野にある記念館に行くと、著作「黄色いテント」の題名ともなった、彼のイニシャルを刻んだ黄色いテントが人目を引く。

終戦71回忌

スマホ今ラヂヲの代わり終戦日
終戦忌ラヂヲの前に体操す
述語無き会話の世代終戦日
銃創の跡見せ父の終戦日

子供ができてからというもの、終戦の日と言えばほとんどを実家、あるいは家人の実家で過ごしてきた。

勤め先がメーカーだった関係で、この日を挟んで大型連休の恩恵にあずかってきたわけで、その都度渋滞をおして帰省したわけである。
いわゆるお盆休暇なので墓へ参るのが恒例で、終戦の日と言っても特別に何かあったわけではないが、酒に強くない父は酔っては脛の弾跡を見せて英雄譚を語るのであった。その父も、その想像を絶する体験をもってしても帰還後の人生はままならず不遇のままに生涯を終えた。

終戦の日と聞くと、部隊の1%も生き残れなかった戦場から奇跡的に生き延びた父は、軍隊にいるときこそが一番輝いていたような気がするのである。

墓を守る

掃苔の英霊六基従兄弟なる

朝から二カ所の墓参りを済ませてきた。

一つは実家の墓、もう一つは家人の実家の墓である。
家人の実家の墓に参ると、必ず線香を手向ける墓六基がある。
みな、先の大戦で若い命を散らせた義父の弟とその従兄弟たちの墓である。外地での戦死だからもちろん遺骨はなく紙だけが帰ってきたのだろう。それらの墓碑銘はいまだにくっきりと読むことができるが、どれもみな昭和20年の月日のものばかりである。とりわけ、心を打つのは終戦のわずか十日前に泰国で戦死したという文字。あと半年、あと十日生きていれば違った人生を歩めたものをという思いが頭をよぎる。
その従兄弟たちの墓には今年はまだ誰も訪れた形跡がなく、もしかしたら墓を守るひとたちの高齢化か、あるいは家系が途絶えつつあるのかもしれない。

「墓守をする人が絶える」。これは少子化がもたらす現実の問題としてそれぞれの身に降りかかってくる。
自分の墓をどうするのか。そろそろ考えなければならない時期に来ている。

新薬師寺へ

そのかみの極彩塑像堂涼し

今日は同窓のS君と旧交を温めてきた。

伊賀出身のS君は、この時期きまって毎年ご夫妻で奈良に来られるが、奥さんに別件があってその空いた時間を利用して昼飯をご一緒した。
あてにしていた柿の葉寿司の老舗は盆休みとあって満席なので、やむなくうどん屋に飛び込んだが、客の大半が外人観光客。しかも欧米人らしき人たちが器用に箸を使うのには驚いた。
昨日に続き幾分外歩きも楽になったような気がする奈良公園では、木陰で休む鹿君たちの角は袋角を脱してしっかり形になってきたし、睾丸もよく伸びて放熱効果満点。

不退寺に続いて新薬師寺を案内。両寺とも市中心から離れているせいか訪れる人は少ない。
不退寺もそうだったが、扉を閉じた国宝の本堂に入ればひんやりするほど冷気が包む。本堂というのは春になっても底冷えを感じることが多いが、兼好法師だったか、「家の作りやうは夏をむねとすべし」という名言も素直にうなづける。
十二神将像は目をこらすと、創建当時まとっていたと思われる極彩色の面影がかすかに残っているように見える。
薬師本尊を守る神将は十二年ごとに大将を務めることになっており、有名な伐折羅大将は戌年で戌の方角を守る神。亥年生まれの私は宮毘羅大将に燭を献灯して加護をお願いしてきた。