酒の神

神鶏の斎庭に遊ぶ神の留守
大杉玉掛け替へなって神の留守

神鶏は石上神宮、大杉玉は大神神社。

14日に大神神社で全国の杜氏・酒造家が集まって無事な醸造を祈願する酒まつりが行われ、その前日には大杉玉が掛け替えられた。
酒造家は神社からいただいた杉玉を軒先にかける。
「うまざけ」は三輪にかかる枕詞で、三輪さんは酒の神さま。境内の巳さまには酒と生卵を捧げてご利益を願う。

山辺の道・正暦寺は今紅葉が盛りだが、ここは清酒発祥の地として知られる。

水に恵まれない大和なので、今でこそ大量には生産されないが、王権が集中した往時にはおおいに生産・消費された酒王国であったはずである。

短い旅

わにの海跳んで終りの神の旅

風が強くなって逆波、白波が出ることを兎が跳ぶと言う。

因幡の白兎は、鰐をだまして海を渡ろうとしたが、途中でばれて皮を剥かれてしまい、大国主命に救われる。
この話を知っている人なら、隠岐の島に向かう海に白波が立つと、まさに兎が海を渡るようにも思えて、ここは鰐が棲息する海なのだと教えられても少しもおかしくは思わないだろう。

隠岐の島の神々は、八百万の神の中でも旅程が短くてつまらないと思うだろうか。

アフタービート

手力男の舞ふ息荒し里神楽

宮崎県の神楽を奈良で見る機会があった。

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資料によると、一口に宮崎の神楽と言っても、地域によって起こり生い立ちや演目に違いがあり、保存団体だけで200余、奉納される箇所にして350にのぼるという。このように地域性に深く根ざしたのが特徴の一つと言われている。また、神楽を専門とした芸能集団ではなく、地域住民による継承によって支えられているのも二つ目の特徴である。
今回の公演は、熊本県に隣接した県中西部、米良(めら)村の村所(むらしょ)地区のもので、南北朝時代に菊池氏とともに落ちてきたことのある兼良懐良親王の没後神前に奉じたのが起源とされる。ここも夜神楽で12時間舞われるので、演目が三十三番と多いが、今回はそのうち九番がセレクトされて紹介された。
舞台に設えられたたいそう立派な「御神屋(みこや)」、これは神をお呼びする依り代となるもので、その前に舞いの舞台が設けられている。
先ずは、舞台の清めの舞から始まり、そのあとに天照、豊受の大神を勸請する舞、土地を守り浄める舞など神聖にして優雅な「神神楽」四番が披露され、後段は「民神楽」と言って娯楽性が盛られたもののうち五番が演じられた。時間にして、二時間半ほど。中には一演目で二時間を要するのはさすがに途中端折った部分もあるということで、観客も頑張って鑑賞しなければならないが、演じる方々にとっては緩急つけての舞というのは大変なハードワークにちがいない。
総勢二十名ほどの演者が舞方、囃子方を交互に務めるのであるが、これが一晩中続けられると聞くだけで、気が遠くなるような話だ。三日三晩踊り続ける八尾の風の盆は、人の呼吸のテンポに合わせて動作もゆっくりしているからいいようなものの、この神楽というのは時に面を被り荒ぶる神を演じたりするものであるから普段から相当足腰・心肺機能を鍛えておかねばなるまい。

掲句は、民神楽で「手力男神」と呼ばれる演目で、面をつけたまま盛んに舞ながら口上を述べている場面を詠んだもの。一の力持ちの神が天岩戸を引き開ける場面だから、迫力は満点である。
今年の村所八幡大祭での夜神楽は12月17日。山間地の夜だから冷えは足腰にしのび込むだろうが、大太鼓のアフタービートのリズムに揺り動かされ、演者の湯気の立つような熱演を目の当たりにしたら寒さは忘れてしまうかもしれない。

柿どころ

吊し柿送り頃まで三日ほど
ぶらぶらと風の手練れの吊し柿

通りかかった店で立派な柿を見かけたので立ち寄ってみた。

ここはいつも客が入れ替わり立ち替わり出入りしているので、きっと安くていいものを扱っている店だろうと思っていたが、案に違わなかった。野菜、果物専門でどうやら地元産のものばかり扱っているようである。
西吉野の何々農園、すなわち柿どころ五條、からと書いてある吊し柿用柿がざる籠いっぱいに盛られ、とても渋柿とは思えないようないい色を出していたのでその色に釣られて一かご買ってみた。
一個の大きさが拳ほど、これが15個入っていた。

一昨年にもチャレンジしたが、面倒見が悪かったのか、貧相な仕上がりに食べることなく捨ててしまったので、今回はネットで検索して慎重に。
完成まで最低三週間ほどかかるらしい。
軒下の雨のかからないところに干して、ここでも色の変化を楽しむとしよう。
とくに、最初一週間ほどして、全体が薄茶色になった頃合いを見計らってよく揉み込み、種離れをさそうのがこつだという。
家人はあまりドライフルーツの類いは好きでないので、この15個は実際は全部私の胃袋に入るのだ。

冬備へ

田仕舞の煙漂ひ大和川

大和盆地は冬準備。

煙りが田のあちこちに上がっている。もし風がないと、その煙がどこにも飛ばされず、道路と言わず住宅や集落ごと、ところ構わず漂うことになる。さながら霞みか雲か状態。

大合流なった大和川の辺りでは煙りにすっぽり覆われて、対岸の様子はさだかでない。

濃き薄き取り混ぜ

リコーダー円墳に吹く小六月

またとない散歩日和、紅葉日和。

例によって馬見丘陵公園だが、園内はもちろん周遊散策路もさまざまな紅葉黃葉に彩られて、おそらく明日は家族連れで大賑わいをみせることだろう。
立冬はとうに過ぎたとはいえ、暖房はまだ入らずに、季材もどちらといえばまだ晩秋のものが多い。紅葉にしても「冬紅葉」にはほど遠く、まぎれもなく晩秋のもの。

どこまで行っても紅葉の景色が飛び込んでくるものだから、いつもより距離が伸びた午後だった。

丸眼鏡かけて

褞袍着て物書きにでもなった気分

「どてら」。関西では「丹前」が通称とか。

かつては、自宅はもちろん、宿でも寝間着の上に羽織ったりして旅情があったものだが、今やもう、よっぽど山深い湯宿でくらいしかお目にかかれなくなった。
家も随分よくなって、すきま風は入り込まないわ、暖房がよく効くわで、重たい綿のどてらなどとうに駆逐され、フリースやダウンの部屋着にとって替わられた。

伊豆の宿などで、丸眼鏡に褞袍着て炬燵にでも入って落ち着こうものなら、ちょっとした文豪気分にひたれるかもしれない。