この時期に顔を見せる原風景

行きずりの橋に見下ろす植田かな

ここ数日、東山中を行き来している。

若葉も幾分落ち着いてきて、青葉に移り変わろうとしている山里はいくら走っても走り飽きることはない。
ことに美しいのが、田の風景である。田植えが終わって間もない田は水を満々とたたえ、その田に若葉青葉、そして青空が映り込む風景はこよなく美しいし、いかにも日本的な原風景に巡り会えるような気がする。
それに比べて、国ン中は雨期に入るまでは乾ききっている。だから、このさわやかな空気に満ちている僅かな期間を惜しむように東山中、吉野へ分け入って心の清涼剤をいただくのだ。

南限自生地

一叢にして南限地君影草
鈴蘭の森は北向く杉木立

奈良・宇陀両市にまたがる森に南限の鈴蘭自生地があり、天然記念物に指定されている。

宇陀市向淵の自生鈴蘭

厳しい環境にさらされながら生き延びてきただけあって、人が踏み入れることも稀な森の中にあった。
両市それぞれ一カ所あるが、両方とも辛うじて車で行けてもすれ違いはとても無理な一本道である。終点の駐車場らしき広場に降り立つと、ツ~ンと杉の匂いが鼻をくすぐる。
自生地の手前には杉林があって間伐したばかりの木が何本も転がっているのだ。杉木立を抜けると、柵で保護された鈴蘭の群生が見られ、ようやく咲き始めたばかりという風情だ。
店で売られているような栽培種のものに比べて、花はずいぶん小さいのでいっそう楚々とした雰囲気に包まれている。
ちょっと心配なのは、柵で囲まれているさして広くない斜面の、その半分ほどは雑草に浸食されているようで、今咲いているものたちだっていつまでも無事であるとは限らないことだ。
間伐されて、すっきりとした杉木立からは風も抜けるし、光もわずかながら届く。
消えてしまわないよう、関係者の努力に期待したい。

「君影草」は「鈴蘭」の別名。五文字で締めたい場合に便利である。

虫との格闘

売れ残り買うてすくすく茄子の苗

これも兼題句。

実際には、茄子は買ってない。収量からして一本くらいではとても足りないからである。かわりに、トマト、胡瓜、満願寺などを植えたのだが。
薬剤を使わないのでいくらか虫にやられているが、今のところ順調に育っているようだ。
あと一週間ほどしたら胡瓜一号が収穫できるかも知れない。

虫と言えば、蝶々もいいが、あのさなぎがレモンの木などについて毎日割り箸を持って格闘だ。

姿勢

松蝉の楽の瀬音にまさりたる
春蝉の何処と知られず奏しけり

吉野へ出かけた目的は別にある。

兼題「松蝉」というのをこの耳、目で確かめるためだ。
先週のNHK俳句・夏井いつきの回で、兼題の麦畑をゲストですら実際に自分の目で確かめに行ったというのに、司会者自身がサボっていたのには驚いた。実は、わが結社では兼題に対する姿勢をきつく戒められている。これを真面目に守っていたら、とてつもなくカネと時間のかかる趣味なのは間違いないのだが。

さて、季題「松蝉」の傍題に「春蝉」があるが、季は夏である。
初夏に鳴く蝉であるが、平地では聞いたことがない。あるいは、鳴いていても耳には響かなかったということかもしれない。例句を調べるとどうやら、高い山、深山が浮かんでくる。
そこで、吉野の宮滝、国栖まで出かけることにしたのだが、僅か一時間ほどの滞在での発見はかなわず、ユーチューブで確かめた、し〜んと耳鳴りのようにまといつく様子をヒントに想像しながら詠んでみたのが掲句である。

熊野へ通じる道

麦飯の菜漬に包む腰弁当

新緑の吉野へ行ってみた。

二日前の雨もあって、宮滝の柴橋から眺める吉野川の水量も十分。橋のたもとに立つと頭の上から鶯の賑やかな声がする。桜の木の上の方にいるのも珍しい。

宮滝離宮対岸から

さらに奥の國栖まで行くと、和紙の他に、割り箸作り、木工細工など豊富な森林資源の恵みを浴びた工房も多い。
この辺りから、大台ヶ原へは50キロ、R169下北山村経由熊野へは100キロという標識が目に入ってくる。
一昨日の雨で十津川村経由熊野行きの道(R168)が土砂崩れでまた不通になったという。龍神温泉経由の道に迂回しなければならなくなったが、こちらの169号線は健在のようだ。
改めて調べてみると、自宅から大台ヶ原までは80キロたらずで、2時間少々で行ける計算になる。30年ほど昔に、恩師と取材旅行した記憶がいまだに鮮明に残っており、ぜひ再訪したい場所だ。前回は初冬の雰囲気に覆われている時期だったので、紅葉がいい頃に行けば素晴らしい眺めが期待できそうだ。

大台ヶ原から望める景色はひたすら山また山。たたなう熊野の山々だ。この山中でかつて林業の盛んだった昔、竹の水筒に麦飯の目張り寿司、あるいは厚めのアルマイト弁当箱の麦飯の上に鯵の丸干し一本を詰めたものを腰に巻いて、熊野の杣人たちは山に入ったものだった。

帰途は大宇陀へ出る道を選んだ。大海人皇子が桑名へ向けて吉野を脱出したルートである。
吉野町の外れ、宇陀市との境近くで「三茶屋」という地区の名前が目を引いた。「さっさや」と読むのかと思ったが違った。「みっちゃや」と読むようである。

信貴山縁起絵巻展へ

ツーショットぬっと割り込み袋角

帽子の色からすみれ組さん、たんぽぽ組さんの幼稚園児。黄キャップ、青キャップの小学生。

幼稚園児と小学生の列が併走するように登大路を上ってゆく。
その先の奈良国立博物館では、この週末で「信貴山縁起絵巻展」が終了するという。全三巻同時に見られる機会は当分ないだろうからと、今日の涼しい日を待って出かけた。

あらかじめテレビ放送があったのでよけい興味がそそられたのは、当時考えられる一級レベルの絵で、これだけの腕を持つ絵師に思うたけの腕を振るわせることができたのは上流社会の者に限られ、それは当時のトップ権力者(後白河)に他ならないだろうと聞いたことである。
そんなことを頭の中に入れて拝見していると、随所に人間らしい従者、庶民が生き生き、伸び伸びと描かれていることから、時代の自由闊達な空気も感じ取ることができるのだった。

見終わって外へ出ると、博物館前の鹿たちは煎餅をたっぷりと食べたせいか実にのんびりとしていて、観光客の持つ案内図を奪ったりの悪戯をする余裕も。袋角はすでに十センチほどに伸びて、二叉に別かれかけたものも。

困ったときの馬見丘陵

樹の姿祝て欅の若葉かな

歩くものである。

晴天の続いたこの三日間、吟行三昧の散歩に浮かれた。
慣れというのは恐ろしいもので、ちょっとしたヒントから句を授かるなど、感覚が澄まされていくような気持ちになる。
掲句は、そろそろ切り上げるかと思った頃、大きな欅を見上げては形をほめながら過ぎゆく二人連れから着想を得たものである。
取り立ててあれこれ説明するまでもなく、ごくありふれた句だが、妙に安心する句ではないだろうか。

ヨシキリの声も間近に聞いたし、困ったときの馬見丘陵である。
今日はどの団体かは知らぬが、バス三台を列ねる吟行グループもあって、この時期の句材が目白押しの公園なのだと再認識させられた。