天敵

帰りには蟻引く蚯蚓の姿なく

蚯蚓どころかなめくじがさかんに這い回っている。

三日も雨が続けば当然だろう。
蚯蚓が迷い出てくるのは、どちらかと言えば天気がよくて暑い日である。
出てきたのはいいけれど、灼けた舗装路だったりタイル貼りのアプローチなら大変だ。そこらに干からびて惨めな姿をさらすことになる。灼けてなくても、蟻という大敵がいる。
多分、多少は弱ってるやつが狙われるんだろうけど、蟻のパワーには勝てないらしい。何処にそんな力があるのかと思うが、獲物の姿を埋め尽くすように寄ってきたかと思うと、いつの間にかどこかへ運び込まれてしまう。

人もまたこの世の主と思っていたら大間違いである。天災にはかないっこないし、何より自ら生み出した化け物、怪物に苦しむ人たちがいることを忘れてはなるまい。

アイロン掛け

ワイシャツの糊はんなりと走り梅雨

冷たい雨の二日目。

沖縄は既に梅雨に入ったというから、この雨は梅雨の前触れでもあろう。
つづいて梅雨入りするのは九州に間違いないが、それにしてもその九州にとくに雨が多いのが気にかかる。
雨をしのぐべき家に戻れず、苛酷な環境を強いられている人たちの辛い境遇を思う。

今日は室内を歩くにもスリッパが床にくっつくように重く感じる。
湿度も幾分高いようで、アイロン掛けするにもパリッとはしない日である。

そうだ、図書館行こう

若葉雨借本脇に手挟みて

若葉の季節だから若葉雨だろうけど、もう梅雨の走りだろうかと思えるほど冷たい雨だ。

おまけに若葉を照り返すような明るさはなく、暗い一日である。
服装はとっくにこの季節のものに変わっていて、家にじっとしているだけでは寒いので、こんな日は図書館に行くに限る。
今日は新書コーナーで何か面白そうなのを探そうと、棚の背表紙をなめるようにひとつずつ確かめてゆく。
哲学、歴史、文学、エトセトラ、エトセトラ。
岩波、中公、朝日、エトセトラ、エトセトラ。
これら全部に目を通したら、ひとかどの物識りだなあと思いつつ、やはり手に取るのは好みのジャンルとなる。

気楽な俳句本も加えて、何冊か借りだしてきた。

若葉して

薫風や身代わり像のガラス越し

どこへ行っても若葉、若葉。

唐招提寺の、和上の故郷の名花「瓊花」の花が終わるといよいよ夏である。
境内至る処の緑がまぶしい。
  若葉して御目の雫拭はばや
芭蕉句碑がある開山堂には和上の身代わり像が公開されており、緋色の上衣の彩色が周りの緑と好対照をなしている。ガラス戸越しにしか拝見できないのは残念であるが。

食のパターン

いつからか夕の麦飯欠かせなく

新米とは聞くが、新麦とは聞いたことがない。

年がら年中麦飯を食っているせいか、「麦飯」に季節感は感じたことがないが、実は夏の季語であり、その年の新麦を味わうところに季節感があるのだという。
ともあれ、この時期とろろ汁をかけた麦飯が抜群にうまい。
とくに、伊勢芋と言われる多気町でとれる粘り気の強いやつを、これまたたっぷりの出汁で割るのが一番だ。芋は年末にしか手に入らないので、今頃はもう残り少ないのを惜しみながらすりおろすことになる。

朝はパン食、昼は麺類、夜は麦飯というパターンが定着してもう何年になるだろう。

薬草の精気

芍薬の薬気増しゆく夜雨かな

十分に育った芍薬だ。

剪定して束にすると、めいめいが自分の空間を主張するくらい、葉もしっかりついている。
新聞紙の上に並べても、葉の崩れることなくしっかり場所を確保しようとする。
雨の中切り出してきた芍薬ならなおのこと生気が充満して、その根が漢方に用いられるという強さの一面をのぞかせる。

寒牡丹の寺として知られる当麻の石光寺では、芍薬が咲き始めたという。

立夏、風が気持ちいい

鯉のぼり真鯉に遅れ緋鯉跳ね
朝跳ねて夕にそよげる鯉のぼり

ご近所の鯉のぼりが大変元気だ。

午前中は風が強かったので、吹き流しも真鯉も緋鯉も大暴れで、竿が折れやしないかとはらはらみていたが、夕方になって風がやんだようでまったりとした動きだ。

今日は立夏。
風はさわやかだが、日差しはとても強い。