店仕舞

夜とともに虫黙らする雨となる

ただでさえ虫の少ない年である。

虫すだくという言葉がどこにも見当たらない年だったとも言える。
そういう意味では今年は秋に肩すかしされたようでもある。
風呂での楽しみを奪われたのも残念である。
この暑さでは虫もやる気にならないだろうなあと自らを慰めもしたが、いざその暑さが去った途端の寒いとさえ感じる気温の落差である。これでは虫も恋を語るどころではないだろうなあと。
あげくに今日の冷たい雨である。
辛うじて一二匹鳴く夜はあったにしても、夜になって雨が強くなった今日は虫さんたちも店仕舞するのも無理ない。

十六夜

パソコンの電源落とす虫の夜

微かだが聞こえたような気がした。

エアコンの要らない夜となって、窓を開けていても今年は虫の声が届かない日が多い。
どうかして聞こえる夜もあるが、虫すだくにはほど遠く耳を澄ませてようやく聞こえる程度なのである。
十六夜は虫も遠慮がちなのかもしれない。
昨夜は名月、今夜は虫の声に耳を澄まそうか。

ライバル

猫の足濡れて戻りぬすがれ虫

一匹だけ細い声が聞こえる。

しかし最盛期とちがうのは、人の気配を感じただけでぴたっと鳴りをひそめてしまうのだ。ただでさえ心細いようなかぼそい声で鳴くのだから、ぴたと止んでしまうと少しでも変化がないかといっそう耳をかたむけて聞こうという気になる。
やがてその場を少しはなれるとまた小さな声で鳴き始める。虫の鳴くのは雄だけだと聞くが、鳴き交わす相手もいなくてライバルもいないのだろうが、だいいち聞きとめてくれる雌がいるのかどうか、それさえも分からない。

身を置く

粟立草覆ふ捨田の虫の声

家にこもっていると虫の声は届かない。

が、一歩外へ出るとたしかに鳴いている。ただし種類は少ない。それだけ今年は虫の声が少ないと言うことだ。
夏がよほど暑かったのか、たしかに虫の声はまばらだ。
むしろ梅雨の前の頃のほうがよく鳴いていた。
それとも待てば以前のような虫時雨に身を置けようか。

慈雨の声

日の落ちて気配ありけり草の虫

遠慮がちに鳴いている。

六七月ごろはコオロギの声を聞いたが猛暑となって全く鳴りを潜めていたのが、ピークは過ぎたとばかりに鳴き始めたようである。
集く虫とはまだいかないが、それでも微かな声に全神経を向けている自分がいる。
今月もまだまだ猛暑が続くと言われ、コロナ疲れに加えて猛暑疲れもあいまって少々参りつつある身には慈雨とも言える虫の声なのである。

ショップ

虫売に売るほどすだく虫の宿

台風が近づいているというが、当地はいつもの静けさ。

今夜も虫の夜である。
明日の例会の題の一つが「虫売」であるが、いまどき天秤棒をかついで売り歩く光景など見るべくもなく、たいがいがショップで扱うものとなっている。
夏はカブトムシ、秋はスズムシなど。郊外の道路脇のにわか小屋、あるいはペットショップなどだろう。
庭も隣の更地も虫、虫、虫だが、人気のスズムシはいるのかいないのか、それは分からない。ときに、「あ、今鳴いた」と思うときもあるのだが。

あきらめた

風入れて虫の音入れて草の宿

いやあ、よく鳴いている。

一体何種類の虫がいるんだろうか。
ここ二、三日夜が涼しいので窓を開けて風を入れているのだが、今までエアコン入れて外界の音をシャッタウトしていたせいか、あまりの賑やかさで驚くばかりである。
インターネットで虫の名前を突き止めようとしても、あまりにも虫の種類が多く、かつ鈴虫、松虫のように分かりやすいのはともかく、みんなよく似ていてさっぱり特定ができない。
ともかく、特定することはあきらめて、虫浄土の世界に身を委ねるのがよさそうである。