枝を揺らすもの

椋来たと思へば鵯も山桜桃

隣地は更地にして果樹畑。

山桜桃

どうやら、山桜桃のようである。
3月には咲いて、サクランボに似た、幾分小さなめな実が熟しかけてきたようで、この2,3日鳥が来ては啄んでゆく。今朝などは、椋鳥の家族がしきりにつついていたと思うと、そのあとはいつものヒヨドリ軍団がやって来た。
ときどき、雀も混じって(もちろん山桜桃が目的ではないだろうけど)枝の中に消えてゆく。

数本ある山桜桃では熟すにも遅速があるらしく、この木が終われば次はあの木へと、鳥たちにとっては都合がよさそうである。
今またムク軍団が来て、あちこちの枝が揺れている。

チャンスを逃すな

雨上がる明日は畦塗日和とか

昨日今日と久しぶりによく降った。

大和盆地はまだまだ先だが、奥大和は一段寒いせいか、田植え準備に忙しい頃。
山間だからどうしても田は広くつくれないし、おまけに形も曲線の多い複雑な形になりがちである。したがって、畦塗りの正確さが求められるわけだ。
昨今は、畦塗りをしなくてもいいように波板を巡らしただけというのが多いが、宇陀の車窓からみえた景色では何枚もの田がすべて絵に描いたように鍬で塗られた見事なものだった。
この畦塗りがおわり、あとは水を張るのを待つだけの期間というのは、おそらく長くはないだろうが、畦の美しさに目がとまる限られたチャンスである。

再会のチャンス

菜種梅雨ヘリの眼下の青シート

九州新幹線が再開したとのニュース。

復興への第一歩だが、被災地は復旧すらまだ入り口にある。
わけても、熊本城の天守や櫓にはまったく手がつけられてない様子で、雨に降られるままになっているのは痛ましい。
被災程度の調査すらこれからだと考えると、再興は一体いつの日になるのだろうか。
熊本へは高校の修学旅行でしか行ったことがないが、生きている間はあの雄姿に再会できないかと思うと、残念でならない。

這えば立て

風光る嬰の産毛の金色に

お隣の次男坊の初お目見え。

と言っても、ベビーカーの寝顔だけだが、シェードをかけてもらって熟睡のようである。
ときおり風が吹くので、その都度生え際の後れ毛が小刻みに揺れて、光を透かしたように明るく見える。

あと一年くらいすると、片言の挨拶が聞こえるかな。

この時期九段へ

春昼のあみだに被る帽子かな

明日は27度になるらしい。

今日だって外でちょっとだけ体を動かしただけで汗ばんできた。
かと言って、家の中に入ればいっぺんに汗が冷えてきてしまって寒く感じる。
体温調節の難しいシーズンだなと思うが、これも歳のせいかもしれない。

10日になろうとしている熊本の車中泊、避難所生活の被災者に比べたら、なんとも間の抜けたことを書いている。
しかし、「みんなで渡れば怖くない」とばかり、こんな時期に九段で集団参拝して胸を張っている議員に比べれば幾分ましだろうけど。

家にいたい日

土葺きの天守追ひ打ち霾曇

当地では今年初めての黄砂が飛んだという。

輪郭は見えて、細かなディテールが見えない景色。
山は稜線だけがぼんやり見えるが、山襞などはなくて墨で塗ったようにのっぺらとしている。
霞のように、蒸気が立ち上るようなところだけが濃いというような濃淡に差があるわけでなく、視界のすべてが均等にぼやけているのが黄砂の特徴だろうか。
昼間のヘッドライトなど普段は気にも留めないのだが、今日は踏切待ちしていたら電車のそれがいつもより明るく見えたのには驚いた。改めて、こんな日は外にいたくないなと思う。

団塊つながり

里帰りの子も団塊昭和の日

昭和も遠くなりにけり。

平成も28年だから、団塊ジュニアたちも人生の半ばを折り返す頃を迎えている。
我らの折り返し時期というのは、バブルがはじけた直後であり、会社では膨らみきった事業の見直し、関係先の整理などなど、負の資産の始末に追われる毎日であった。
今の団塊ジュニアはと言えば、少子高齢化がすすむ一方で右肩上がりの上昇など期待すべくもなく、むしろ雇用の正規・非正規による格差や貧富差の拡大など、殺伐とした光景が見え隠れしている。
まことに生きづらい世の中だろうが、ゴールデンウィークを利用して帰省するという連絡があった。
親として出来るのは何も言わずに迎えてやるくらいしかないけど。