放生池

山清水引いて放生池の深く

やはり、ここも峰寺と言うのだろうか。

山の水が境内を縦横に走り、その一部が池を形成している。
関西花の寺札所だが、この時期は楼門前の百日紅一本あるだけで、池の菖蒲もとっくに終わって静かな水面が広がるばかりである。ただ、放生池と名づけられているだけあって鯉が泳ぎ、水面を蜻蛉、蝶が舞う。ときに牛蛙のぼうぼうという鳴き声が方々におこるなど、生き物たちの楽園でもあるかのようだ。

釜の口山長岳寺

勸請縄懸かる巨木の蝉時雨

長岳寺の門前に立つと大きな縄が頭上に掛かっている。

勸請縄というのだろうか。それにしても、寺に結界を示す勸請縄とは珍しい。
縄の一方は大楠に懸けられて、頭上からの蝉時雨が煩いほどだ。
大和神社の神宮寺であったという通り、今でも大寺である。
山門から奥へ進んでもあらゆるところ全山蝉時雨。
落ち蝉、蝉の抜け殻もあちこちに見られる。

大師堂のど真ん中には大西瓜がどんと供えられていた。
本堂には釈迦三尊像。いずれも玉眼の像としては最古のものらしい。
有名なのは地獄絵だが、秋にしか公開されない。
こんな暑い日ではなく、好天の秋日にこそ来るべきであろう。

やっと来た!

降る降ると言うてほんとに夕立きた

ところによっては雨。

こんな天気予報を何回聞いたことだろう。
雨の少ない盆地だから、今日も降らないだろうとたかをくくっていたら、来た来た。
それも、大夕立が。
一時間以上も降っていて、今回は珍しく雷も多い。
止んだら涼しくなっていたという話なら嬉しいのだが。

秋を待つ

軽やかに手繰る雨戸の秋近し
階段を二段飛びして秋近し

あっという間に七月尽。立秋はそこまで来ているが。

今年は十月まで暑いという長期予測。秋らしい日々がますます見られなくなる昨今だが、そうなるとよけいに秋の到来が待ち遠しい。

雨戸というのは、今では新築の家に設けられること珍しくなって、代わってシャッターが全盛である。となれば、雨戸の開け閉めに季節を感じるチャンスがまたひとつ減ってきていると言えよう。ガタピシ言う雨戸を力づくで転がしたり、戸袋に仕舞い込んだり引き出したりするときに、ああ雨だな、雪かもとか、今日も暑くなりそうだ、今夜は冷えそうだなと肌で感じることはもうないのだ。
マンション生活であればなおさらそうであろう。
「雨戸」「戸袋」もこの二、三十年で死語となってゆくのであろうか。

「秋近し」には「秋を待つ」という傍題があり、「夏果て」のゆく夏を惜しむ気分とは対極的に秋を待ち遠しく思う気分をいう。
これだけ連日暑い日が続くと、ちょっとしたところに秋を感じたいのである。

愚痴、御託を並べる

サスペンスドラマに飽きて夜の秋

民放のドラマといえば夜九時から十一時までが多かった。

火曜何とかだの、土曜何とかだの、各局いろいろ知恵を絞っていたようだが、最近民放は滅多に見ないのでどうなったのだろうか。ドラマというと、大河ドラマ、朝ドラはだいたい欠かさず見ているが、NHKの単発ものの面白そうなものや、時代劇ものもたまに見ている。
ただ、二時間もあるようなサスペンスドラマなどは疲れるので最近は滅多に見ることはなくなった。
仮に見ていても、似たような俳優が似たような役をやっていて、役者の顔ぶれで犯人が分かってしまうのでつまらない。

さらに言えば、この春NHKの番組が五分刻みに変わったことで生活のリズムが狂って仕方がない。
それまでは毎日が一時間単位の暮らしに慣れきっていたので、七時半からだったクローズアップ現代が夜中過ぎに変更されたのが原因で、まずは七時半から九時までの夕食後のリズムがおかしくなったこと、そして見たい番組がクローズアップ現代の後になるなどして就寝時間との関係で見落とすことが多いことなどあって、NHKには文句を言いたいくらいだ。

いずれにしろ今日は面白そうな番組もなさそうなので、部屋を出てみたら外は意外に涼しい。
ああでもないこうでもないの愚痴を並べるよりも、大自然のリズムに任せた方がストレスもなくてよほど健康にはいいに違いない。

予兆

朝曇風呂をもらひに本館へ
朝曇塩を多めのゆで玉子

オーシャンビューが自慢のホテルなのに視界が開けない。

見えるのは足下のプールくらいで、ここは昨日親子が水遊びしていた場所だが、今朝はまだ誰もいない。
これが朝曇りと言うのだろうか。
朝曇りはこの日が暑くなる予兆という。確かに、日が高く昇るとともに気温がぐんぐん上がってきた。

大浴場は本館で、朝食は本館のビュッフェという決まりで、循環バスを待ちきれずブラブラ歩くことにした。
志摩半島はこの日、湿度80%くらい。とても呑気に吟行できるコンディションでなかった。

筆談

耳遠き人に構はず蝉時雨

雨が止むと今度はまるで耳鳴りのような蝉時雨に包まれた。

一斉に鳴くので、場所もどこかと分からぬほど全身を包むようにシーンという響きだけが伝わってくる。
余命幾ばくもない母を病院より退院させ最期を看取ろうと決めたのは4年前、ちょうどこの時期だった。
歳をとってから耳がだんだんと遠くなり、ついに筆談以外に話をする手段がなくなったのだが、この煩いほどの蝉時雨も本人にはまったく気づかなかったはずだ。

蝉時雨の時期になるたび、あの短かった看取りの日々を思い出す。