今度の年賀状

このたびの賀状の書き出しいかにせむ

そろそろ年賀状の準備に入らねばならない。
今年は当人が天災に遭われなくても、親戚や知り合いに被害を受けた人がいるかもしれないので、単純に「おめでとう」ではまずいのではないかという声も聞く。
いや、こういう時だからこそ来年がいい年になるよう心を込めた「おめでとう」が相応しいとも。

ああ、頭が痛い。
いっそ俳句で飾ろうかとも。

熊野の冬光景

風受けて光るさんまの干物かな

そろそろ熊野の丸干しサンマの季節だ。
テレビで見ているとたいていの人は骨を食べないが、丸干しサンマははらわたも骨もまるかじりするのがいい。
干し具合の出来がいい年にあたると一回で2,3本を食えてしまうくらいうまい。

30代のころ室生寺から吉野を抜けて尾鷲を旅したときのこと。
そのとき目にしたのが塩水につけたやつを天陽と潮風にあてて干してある光景。
銀色をしたやつが風にふかれて一様に揺れていたさまを今でも思い浮かべることができる。

大和川を遡る

行き交ふは人の笑みなり鴨の川

今日は往復20キロほどのポタリング。

盆地の北や南で生まれた支流が大和川に合流するあたりを見に行った。
これらの支流沿いの土手を組み込んで、奈良市内から西の京、斑鳩へ、郡山から飛鳥方面へなど、サイクリングコースが用意されているが、コースがあちこちで分断されいつの間にか一般道を走らされるという具合で、残念ながら整備状況は本腰をいれているようにはみえない。観光地としてこれらを本格的に整備すれば他府県からもっと人を呼べるだろうに、なにしろドル箱の観光資源を数多くもつゆえに期待は薄いかもしれない。

その合流地帯あたりだが、何本もの支流が次々と流れ込みようなところなので当然人家からは遠く、風をまともにくらってしまう。季節がそろそろ終わりに近づいていることもあって行き交う人は稀でひたすらペダルを漕ぐしかなかったが、それでも小鴨の群れが休んでいるのを暫く眺めていたり、行き交うサイクリストと合図の交換をしたりしていると気分も暖かくなるもんだ。

10キロほど走ったところで飛鳥石舞台古墳まで20キロという標識があり、自宅からは60キロ足らずで飛鳥を往復できることが分かったところで引き返すことにした。

散り際のよさ

雨打たる山茶花ぱらりぱらりかな

山茶花は椿のようにまるごと落ちはしない。
花弁の一枚一枚がぱらぱらと崩れるように散る。

今朝起きると大輪の山茶花が夜来の雨に打たれてかなりの花弁を落としていた。
残ったのを少し揺すぶってみると、また一枚散った。

雄大な眺め

我が祈りはるか高みに冬霞

家から見て正面つまり南東に見える山々の麓が山の辺であり、飛鳥である。そこからさらに奥が吉野であることを知った。
一昨日、「もしかしてあれは畝傍では?」との思いに駆られる、頂辺がやや傾いた台形の小高い山の輪郭が遠い山を背景にはっきり見えたのだった。
それで昨日思い立って確認がてらドライブに行ったのだが果たしてビンゴだった。
これから自転車でひんぱんに訪れるであろう場所の地理を頭にたたき込むため、明日香村の主な遺跡を大急ぎで回っただけであるが、やや高いところにある万葉文化館近くから見える二上山の二つのピークががはっきり見えるのだった。
二上山は金剛山系の北端に位置するが、ちょうどその北に当たる自宅からは雌岳が雄岳に隠れて見えないので、飛鳥からの眺めはふたこぶがはっきり見えて特別新鮮に感じる。
さらに生駒の山並みが意外に遠く低く見える。飛鳥からは盆地の北へ向けてわずかずつ傾斜しているような感じだ。
全部まわったわけではないが、いまのところ大和盆地の眺めは飛鳥からあたりが最も雄大さに富むのではないだろうか。

相輪といふ

水煙のうんちくしばし冬日和

薬師池に着いたところでおにぎりをぱくつく。
過去にも訪れたことはあるが、南門前は思ったより狭かった。
塀越しの西塔をスケッチしておられるご婦人がたとしばし雑談したが、やはり話題は工事中の東塔ともども立派な水煙に集中した。相輪は上から宝珠、竜車、水煙、九輪(宝輪)、受花(請花)、伏鉢、露盤で構成される(wikipediaより受け売り)。
火炎のデザインをしているのに水煙と呼ぶのは火事を嫌ってのことだそうである。なるほど。

意外な穴場

人知らず平群の里の雑木紅葉

平群の里を長く東西に山がはさんでいる。
生駒と松尾山だが、向き合った雑木たちがこの時期黄紅葉の妍を競っている。
幅広い里とはいえ離れすぎてもいないのでなにしろ眺望が開けており、視野の左右いっぱいのキャンバスに秋の色彩が広がるのはなかなか他には見あたらないだろう。
近鉄生駒線、クルマだと168号線だが、これらの車窓から眺めるのがまたいい。
ただ、このような広大なパノラマも大阪や大和盆地からは当然隠れて見えない。
近場で意外な紅葉の穴場である。