この松はクレーンで吊るらし年用意
今日は大神(おおみわ)神社まで往復45キロ、こうなるとポタリングとはいえないかもしれない。
無事帰宅して、例によってNHKローカルニュースを見ると二の鳥居前の門松の据え付けについて報道していた。
それによると、門松は高さ5メートルだそうである。で、松を立てるのにクレーンを使っていた。
途中多(おおい)神社に立ち寄った。
ここは地鎮祭にお願いした神様だから、お礼をかねて参拝したわけだが、なにしろ神様の名前が長い。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
この松はクレーンで吊るらし年用意
今日は大神(おおみわ)神社まで往復45キロ、こうなるとポタリングとはいえないかもしれない。
無事帰宅して、例によってNHKローカルニュースを見ると二の鳥居前の門松の据え付けについて報道していた。
それによると、門松は高さ5メートルだそうである。で、松を立てるのにクレーンを使っていた。
途中多(おおい)神社に立ち寄った。
ここは地鎮祭にお願いした神様だから、お礼をかねて参拝したわけだが、なにしろ神様の名前が長い。
機影かと見紛ふ寒夜の星なりき
関空方面に向かう旅客機についてはすでに書いた。
皆既月食の翌夜は風もなく、月が青々と冴え渡っている。
いつものように盆地の南方向を見ていると、南東の空低くに明滅するものがあったので旅客機だとばかり思ったがちっとも近づいてこない。やっぱり星だ。今夜はやけに空が冴えているようだ。
豪雨禍の人が編みける大注連縄
今年の被災者は東北地方だけではない。
紀伊半島豪雨で未だに住む村に戻れず仮設住宅で暮れを迎える人が多い。
そういうなかで逆境にめげず人のたくましさというのものをしみじみ感じさせてくれるニュースがあった。
大しめ縄:迎春準備 田辺・熊野本宮大社でかけ替え
電飾ツリーいよよ眩しき雨の道
電飾のツリーもカボチャの馬車ならむ
今夜は皆既月食が見られそうもない。
昼間から雨が断続的に降り続いていて、さっきから何度も外へでてみたが冷たい雨がぽつぽつと降っている。
ご近所の白や赤、青、黄、おそらくLEDであろう明るいツリーの飾りが、雨に濡れた通りに反射してさらに明るく見える。
しかし、関電の要請をうけてだろうか、午前になる頃には消えている。
あの里のけぶれるあたり片時雨れ
冷えてきましたね。
明日の朝は零下一度になるそうです。
ここは盆地の遠くまで見渡されるのですが、遠くの里に時雨が通り過ぎてゆくのが見えました。
もしかしたら近いうちに雪がちらつくのを見ることができるかもしれません。
佐藤春夫の「しぐれに寄する抒情」を思い出しました。
。。。。。。
しぐれ しぐれ
もし あの里をとおるなら
つげておくれ あのひとに
今夜もねむらないでいたと
あのひとに つげておくれ
しぐれ
。。。。。
なんとも甘味な調べですね。
これを亡き岳父が書にして額装しました。強面ですが、内面ロマンティストだったんですねえ。
大雪や母のすがりし中将湯
昨日当麻寺に着いて分かったことだが、16歳の時中将姫がこの寺で剃髪し29歳で世を去ったという縁の寺であるという。
小子は姫が編んだとされる当麻曼荼羅の話よりも、中将姫が伝えたとされる薬湯に興味が引かれた。
というのは母がまだ若い頃病で苦しんでいたとき、毎日のように薬湯で腰湯をしていたことを思い出したからだ。
その薬湯の名は中将湯であったはずだと思い、帰宅して調べてみたらはたしてそうだった。
体を温める効果がありかつては婦人病に効く薬として重宝されたらしいが、今では入浴剤バスクリンにとって代わられているとのことだ。
当麻寺の梵鐘(国宝)。背景の山は二上山。
葛城の隠れ雲間や冬日差し
風が穏やかだったので葛城山の麓まで遠出した。
二上山を過ぎ当麻寺(日本最古の梵鐘があった。中将姫が剃髪した寺としても有名とのこと)を見た後、竹内街道も過ぎ葛城市屋敷山古墳までの往復。
葛城の山々は曇りがちではっきりとは見えないが、雲間より幾条かの日差しが差し込んでいる。
古歌の丘風も吹かぬに枯葉降る
屋敷山公園として整備されている屋敷山古墳は葛城市最大の前方後円墳で、古墳が造られた時期は古墳時代中期にあたり、葛城氏の首長の墓と言われている。戦国時代には領主布施氏の館が築かれ、続いて江戸時代には大名桑山氏の陣屋が築かれたせいか、地元の人に聞いても城跡だというひともあればいや古墳だと言う人もいたが、形大きさからして元は古墳だったことが容易に推定できる。
公園の濠跡と見られる場所に家持の歌が。
でも、やっぱりこの日はこれを見たかったのだ。
二上山。
当麻寺奥の院先に大津の石川女郎(いしかわ の いらつめ 大名児おおなこ)へ贈った歌の碑があった。歌碑の背には二上山が見えるのだがあいにく曇り日でうまく写らなかった。