大和郡山

小春日や金魚顔出すお池かな

西の京へのポタリングの続き。
斑鳩を抜けると金魚養殖で全国シェア40%を占める大和郡山市域に入る。富雄川沿いの自転車道を走っていると緑がかった養殖池がちらほらと目に入るようになる。
この日は暖かい陽気に誘われるように真っ赤な金魚の稚魚たち(補:金魚の苗という)が水面に浮かんでいたが、池の色との取り合わせがまさに補色関係にあるので強く目に焼きついた。

郡山は戦国時代に筒井順慶が築城し、その後豊臣秀長が入城した畿内でも重要な位置にあるが、金魚養殖は享保年間に柳澤吉里が甲斐より移封された際持ちこんだのが始まりと言われ、武士階級の内職にもなっていたらしい。
ただ、譜代城下だったせいか市中心街の住宅はなかなか立派な家が多い。今回はスルーした街なので郡山城などいつかまた来てみたい。

イルミネーション

ほの白く浮かぶ平群の温床かな

曇り空となると暮れるのも早い。
買い物帰り平群町を走らせているとビニールハウスが灯りで白く浮かんでいる。
電照菊といえば渥美地方が有名だが、平群町は小菊の生産高日本一だそうである。盆や彼岸でお世話になるあの小菊だ。
生駒山脈に沿って北から南へ流れる竜田川沿いにある町で、東側のやはり南北に横たわる丘陵地帯が大和盆地とを隔てている谷間の里という格好になる。
古墳群があることでも有名だが長屋王の墓もあるらしく、そのうちポタリングもいいかな。

健やかに

戸口より空をうかがふ七五三

朝起きるとお向かいからかわいい女の子が着物を着せられて出てきた。
続いて、正装のお父さん、お母さん。

天気予報に反して曇りがちの朝だったが、眩しいような光景だった。

斑鳩の里

高咲きの山茶花白し里の塔

日本最古(706年築)の三重塔だそうである。
斑鳩の里法起寺。
縁起によれば、聖徳太子が長子山背大兄王に宮殿(岡本宮)を寺とするよう言い遺したことによる。
時代によって衰退浮き沈みした寺だが今日まで塔は残った。
同寺には飛鳥時代の銅造菩薩立像、平安時代の木造十一面観音菩薩像を蔵置している。銅造のものは奈良国立博物館に出張されており先日もお目にかかれた。体の線や衣紋の流れなど素朴な佇まいが好ましかった。


今日は朝からピーカン。おまけに風もおだやか。
まずは愛車で斑鳩の里ポタリングに出かけた。
中宮寺は自転車置き場が不便でパス、別の機会に法隆寺とともにゆっくり見ることにした。

法輪寺では愛車も一緒に三重塔を遠景に。ここはいかにも里の寺という風情で四方でスケッチする人が多く見られた。快晴で風もなくまさにスケッチ日和。

法起寺傍の溜め池には鴨たち(キンクロハジロか?)が40~50羽渡ってきていた。

法起寺を出た後、西の京、平城京への自転車道案内を見つけたので標識にしたがって西の京まで足ならぬ輪を延ばすことにした。途中郡山城を経由しての大和盆地西端往復36キロ走行は初冬を満喫するには十分であった。

喉がかわくということ

今日の句を思案にくれて蜜柑むく

喉が渇いていると、思考も止まるらしい。
いくら考えても季語が浮かばない。
そこで、小ぶりの甘そうな蜜柑があったので食ってみると意外にうまい。次々と皮をむいては口に放り込む。
蜜柑というのはめったに食わないが、いざ食い始めるといくつも食えてしまうのが不思議だ。
脳の水分補給指示系統が満足した頃合い、秋のものだがこの句が誕生した。

明日は久しぶり、といっても当地で初めてなのだ、かねて念入りに磨いた自転車でポタリングしようと思う。
さてどこへ行くか。

冬の英雄

オリオンの昇り初めしの広きかな

自宅は南東向きの斜面にある。
だから、冬の英雄オリオンが真正面に上がるのだ。
地平に近いほど太陽が大きく見えると同じ理屈かどうか、昇り初めのオリオンは正面の広いエリアを独り占めするかのように大きく見える。
ただ、前住所の東京西部に比べて特別星がきれいにみえるようでもないのが残念だ。
老眼のかすみ目もあるだろうが、大和盆地の端でも結構空が明るいのだろう。

花札

紅葉を傘と気取るやはぐれ鹿

花札そのものだと思った。
県内の紅葉名所はどこも見所だとテレビがいうので、まずは奈良公園から東大寺へ。
今年完成した東大寺ミュージアムでは不空羂索観音立像、日光・月光菩薩立像(いずれも国宝)にお目にかかることができた。
他に東大寺創建の頃の遺物の展示もあり、なかなかの見応えである。
おりよく南大門手前で鹿君が煎餅には目もくれずひたすら水を飲んでいるシャッターチャンスにも恵まれた。
雨天だけど気分は晴れであった。