親の目

卒業のともに制服つんつるてん

昼前に子供たちが下校してくる。

胸に大きなピンクのリボンをつけてもらって肩を並べて歩く父兄も着飾っている。
どうやら当地の小学校の卒業式があったらしいと分かる。
小学校六年生となれば急に身長が伸びてきて親たちとたいして違わない子も多くなった。
公立ながら制服の決まりがある学校なので、そんな子たちは制服の上着も下の半ズボンもパツンパツンにはちきれている。
この子たちが四月になって中学入学ともなると、今度は一転してダブダブの袖にぶかぶかの長ズボンの制服に替わるにちがいないと思うと、親の目になって子供たちの成長がまぶしく見えてくるものだ。

肉親

チョコレートもらふことなく卒業す

好きな子はいた。

が、卒業までとうとうバレンタインデーのチョコレートをもらうことはなかった。
だいいち、この日にチョコレートを渡して恋心を白状するなどという慣習もなにもない時代のことだ。
さらに、卒業当時は一月を過ぎたら受験やその準備などで学校には足も向かない状況。
おまけに、受験失敗したので予備校選抜試験などがあって卒業式どころではなかったし。
もしかしたら、渡そうと思う人がいてくれたのにその機会がなかったのかもしれない。
その後サラリーマンとしてこの日を何度も迎え、そのつど義理チョコなるものをもらったが嬉しいと思ったことはなかった。
唯一の貢献元である肉親からも、チョコはあまり好きでない主には最近届かなくなった。

トラウマ

卒業しても落第の夢今も見る

出来が悪い学生だったので卒業が決まるまでは何とも不安な毎日を送っていた。

せっかく就職も決まっているのに焦るばかりである。
卒業を知ったのは実家宛への通知だったと記憶しているが、その報を聞いたときはどれだけ胸をなで下ろしたことか。まさに薄氷を踏むような卒業だったので、いまでも落第の夢で目が覚めることがある。掲句そのものである。
今となっては懐かしい思い出とはならないのである。

けなげ

枕投知らざるままに卒業す

修学旅行が中止となったまま卒業の日を迎えたニュースを見た。

インタビューに出るのは模範児童だろうから愚痴ることもなく進学や未来へ向けて抱負を語る。言うことがけなげで我知らず頑張れと心の中で呼びかけた。

貫く

転向の悪びれもせで卒業す
カルチャーの古典講座を卒業す

かつてのヘルメット組でいまだに行方知らずの猛者がいる。

学園闘争喧しい時代に、同じクラスや部活のなかまで何人も運動に身を投じていたが、たいていは就職活動を機に髪を短く切ってさっさと転向したのがほとんどだったのにである。
行方知らずの奴こそ真面目で、純真だったが、みずからの信念を曲げることもまたできなかったのであろうか。

いまどき、運動などに四年間を賭けるような学生はいるのかどうかしれないが、貫くのもまたひとつの生き方だろう。

地獄が待っている

奨学金残高前に卒業す

奨学金返済地獄に苦しむ人が多いと聞く。

我ら世代の国公立大授業料が年に12,000円程度だったのが、今では540,000円くらいになるそうだ。
学生二人のうち一人は奨学金を借り、卒業するときは数百万円もの借金が残るのが通常という。卒業しても、三人に一人は非正規雇用となると返済が滞ってしまう危険性は高い。
どうやら、奨学金の額も返済額もわれら世代の比ではなく、考えてみたら卒業後すぐに輸入車一台を月賦で買うようなものだから、正規雇用といえども厳しいに違いない。

苦学生という言葉は死語に近いが、「大学は出たものの」の世界はいまだ存在する。

ほろ苦いもの

四百枚書いて卒業許さるる

卒業式のシーズンである。

高校の卒業式は受験やら予備校受験やらで出席はできず、大学もまた不勉強がたたって必須科目一つの単位がとれるかどうか最後になってやっと紙一重の差で許された。ゼミの方はといえば、これまた内容の乏しさをボリュームで補おうと400枚も書いてやっと単位がもらえたのだった。
そんな状況を反映したのかどうか、卒業式が近づいても実家には案内も届かないというので、心配する母親が急遽上京してくるようなこともあった。

このシーズンが近づくと「卒業できないかも」という夢で目を覚ますようなことが幾度かあったが、さすがに最近はもう見ることはない。

季語「卒業」にまつわる思い出、言ってみれば学生時代の思い出はほろ苦いものがほとんどだが、句に詠もうと思えばいくらでも出てくるような気がする。