バックミラー

燃料の目盛減るなる小六月

暖かいのは今日までと言う。

風は強くてバイクは要注意だが、寒くはなくてどこまでも走れるような気がする。燃料計の針を見るとそろそろ補給すべきレベルまで来ているが、もうしばらくこのままで行こうと思った。
荷台に積んだ蕪とネギの束がぱたぱた揺れるのをバックミラーが映している。

無心の時間

小気味よく土噛む鍬の小六月

日中は風もなく今冬最初の小春日となった。

午後の3時間あまりの農作業。来春に向けての畝づくりなのでとくに急ぐこともなく、マイペースで無心に鍬を入れる時間のありがたさ。嫌われ者のヨトウムシがいくつか出てきたり、何の虫なのか冬眠中の大きな蛹が出てきたり。
ちょっと冷えてきたかと思えばもう日が林に沈むところで。何も考えることもない無心の時間はあっという間に過ぎてゆく。
心地いい疲労だけが残った一日だった。

濃き薄き取り混ぜ

リコーダー円墳に吹く小六月

またとない散歩日和、紅葉日和。

例によって馬見丘陵公園だが、園内はもちろん周遊散策路もさまざまな紅葉黃葉に彩られて、おそらく明日は家族連れで大賑わいをみせることだろう。
立冬はとうに過ぎたとはいえ、暖房はまだ入らずに、季材もどちらといえばまだ晩秋のものが多い。紅葉にしても「冬紅葉」にはほど遠く、まぎれもなく晩秋のもの。

どこまで行っても紅葉の景色が飛び込んでくるものだから、いつもより距離が伸びた午後だった。

得んとせば

奈良町の坂町と知り小六月
奈良町の坂慈しむ小春かな

毎月第一火曜日は定例の吟行。

12月は奈良町の歳晩風景、1月は東大寺・春日大社の新年風景と決まっている。
毎年のことなので句材も尽きるのではないかと思われるが、日付、曜日も違えば、天気も違うわでメンバーが拾い上げてくる句には新しい発見に満ちている。

たしかに、奈良町には坂が多いことをあらためて知ったのも今日のことで、なるほど句材というものは探せば何処でも幾らでも見つかるものなんだろう。
犬も歩けばではないが、兎に角外へ出さえすれば何かに突き当たるということか。これを敷衍すれば行くところすべてに句材があり、出たけど句材が何もなかったというのは単に観察が足りないか、あるいは臨む姿勢が問われていることを自ら晒しているにすぎないのかも。

つかの間の

欠伸する赤子の薄着小六月

立ち話の寒さも忘れるくらいだった。

気がついたらいつもとは違う南風だ。
赤ん坊も驚くくらい薄着だし、少し動けば汗ばむほどだ。

こういう陽気は当然長くは続かないが、それだけにありがたいと思う。

巡礼

大和路の巡礼期する小六月

大和の十一面観音さま八体、合わせて八十八面観音巡礼の手始めが室生寺だった。

残りは長谷寺、聖林寺、西大寺、海龍王寺、法華寺、大安寺、法輪寺、いずれも著名な古刹。すでに長谷寺、法輪寺は参っているので残り五つであるが、次は聖林寺にしようと思う。和辻が賞賛した国宝第一号指定の仏さんという点に惹かれるものもあるが、数奇な運命をたどった聖林寺十一面観音さんとは因縁話があるからだ。
というのは、聖林寺の十一面観音さんというのはこのたび母がお世話になった三輪山平等寺に元々あったもので、明治の廃仏毀釈のあおりを受けて寺が徹底的に破壊された際打ち捨てられているのを聖林寺さんの住職に拾われ今日に至っているからだ。明治維新の馬鹿げた熱気を受けてガラクタ同然の扱いを受けたものが、米国人フェノローサによって一転至宝としての価値を認められたというのは強烈な皮肉話だが、そういう因縁も含めて急に身近に感じるようになった。
平等寺さんの十一面観音さんはレプリカであるが、暖かい日に本物に御対面させていただこう。