急かされる

幅せまく春雨傘の歩みけり

今日は二十四節季の雨水だそうである。

降っていた雪も雨に変わる頃、あるいは積もった雪を解かす雨ということだ。
たしかに雨はひと頃より冷たくはなくなったかもしれない。
しばらく気温が高い日が続くらしいが、それもどうやら一足早い春の長雨のような日となりそうである。
いつもより早く暖かくなるのはいいが、ちょっとずつ季節感が狂ってしまうといくつもやり残しがあるような気がしないでもない。
庭の梅はおそらくこの雨で散り始めることになろう。櫻もまたいちだんと早く開花するのだと思うと何か急かされているような気分になる。

骨休み

傘杖に立つバス停の春の雨

今日は朝刊のない月曜だった。

うっかり郵便箱をのぞきに出て雨だと知る。
ただ、ぱらぱらと降りかかるという風情の雨で、先日までの冷たさは感じなかった。
駅へ急ぐ人も嵩をさしていない人もいる。
たいして濡れるほどでもなく、冷たくもない、いわゆる春の雨である。
降ったり止んだり、結局夕方まで晴れ上がる気配のまったくない一日であったが、きのう天気につられて体を酷使したのでいい骨休みとなったようである。

ジェットコースター

一夜さに草丈伸びて春の雨

昨夜雨が降ったようだ。

たいした雨ではないが、それでも心なしか草が一斉に伸びたような気がする。
寒い雨なら地温を下げてしまうのでこうまでは伸びないだろうに、暖かい雨だったにちがいない。昼はそのまま暖かさがつづいて27度にも達する夏日である。これが曇りがちな一日だったからよかったものの、昨日までのような強い日差しがあれば蒸し暑さも加わって苛酷な春の日となったにちがいない。
今夜未明雨があるらしく、その後はしばらく平温に戻るということだが、日々こうしてジェットコースターに乗ったようなゆらぎに翻弄されては身体に堪えるというものである。

必死に

抜け落ちし羽生めかし春の雨

二日続けて鳥の羽を見つけた。

色、大きさからどちらも鴉のものだ。
まとまって落ちたものじゃないから自然の抜け代りであろう。鳥の子育て中は身をやつしてる暇はないので羽は荒れがちである。丁度人間がやつれると髪が抜けて細るように、鳥たちも羽にまで栄養が十分いきわたらないのかもしれない。
田んぼではケリのお母さんがあの甲高い声でしきりに鳴いている。
鳥たちも子育てに必死の時期である。

悔恨

通ひ猫律儀にけふの春の雨

弥生は雨で始まった。

ここ二三日暖かい日が続いたので、意外に冷たく感じる春の雨だった。
しかし、雨が苦手なみぃーちゃんにとってはこの程度なら立ち止まってみせる余裕があるらしい。
昨日昼前の話だが、そのみぃーちゃんを目当てに日参していた雄のキジ虎猫が、目の前の道路で車にひかれたとお向かいさんが知らせてきた。
事故の後最後の力を振り絞ってお向かいさんの駐車場までたどりついたが、どうやらそこで力尽きて息を引き取ったようだった。即死である。
奥さんはどうしていいか分からずに助けをもとめてきたので、役場に遺体を引き取ってもらうべく電話すると、民家の敷地では主が袋に入れるなりして手渡さなければならないというルールがあるという。
そこで段ボールを用意してキジ虎君を収容したが、その身体はまだ温かさを残して柔らかかった。しかも、しっかり肥えていて毛艶もいいしどこかでご飯をしいっかり食べている子にみえた。飼い主の知らないところで勝手に処分するのは、どうして消えたのか知るよしもない飼い主の気持ちを考えるとただ申し訳なさに心が痛むのであるがやむをえないことであった。
毎日やって来てはみぃーちゃんにつきまとうのでその都度追っ払っていたが、そのキジ虎君があえない最後をとげたと思うともう少しやさしくしてやるんだったという悔恨になかなか寝つけなかった。
そのみぃーちゃんは知ってか知らずか、今日も雨の中ビニ−ル温室のハウスからでてきて餌を食べている。この春で十歳になるのでいつ何があってもおかしくはないが、交通事故だけには気をつけてと願うのみである。

身を包む

春雨や傘を開く児手ぶらの子

気配を感じて窓の外を見た。

沓脱石が濡れている。雨だ。
いつの間に降っていたのか。音さえ聞こえない静かな雨だ。
外に出ればもう止んだあとで、生温い空気だけが漂っている。
いかにも春の雨らしく控え目で身を包むような心地に酔いそうな宵である。

初桜

春雨の暗きに深き平群谷

雨の中、平日の都会に久しぶりに出た。

途中雲が低くのしかかって平群が静かだ。生駒も半分くらいは雲に覆われている。
竜田川(実態は生駒南から平群谷を下ってくるので平群川と言ったほうが分かりやすい)をさかのぼるように電車は生駒に向かい、途中隘路になったような渓谷が深く切れ込んだあたりが、役行者が修行したと伝わる女人大峯山「千光寺」への上り口となっている。
ここは春の新緑、秋の紅葉がすばらしく電車で通過するたび窓外に目を転じて楽しんでいる。はしなくも今日その渓谷を渡るあたりで勸請縄がかけてあるのを発見して驚いた。あっという間のことだったので何をどこから守ろうとしているか、何も分からず仕舞いだったので、あらためて訪ねてみようと思う。
帰りには雨がやんでいて、生駒の中腹から盛んに雲が湧き、平群谷は春の地熱に包まれているような柔らかさがあった。

山ひとつ越えて家路の初桜

駅に着いたら朝には気づかなかった桜が一輪開いていた。染井吉野はまだだが、早桜はもう始まっている。