紅蓮が命

幾筋の出逢ふデルタや曼珠沙華
幾筋と出会ひ大河に曼珠沙華

例年なら曼珠沙華の群生が見事な時期、その堤防は雑草に覆われていた。

草刈り作業が遅れていたとみえ、今年はもう見られないかと思っていたところ、数日前に除草されたと思ったら、あっという間に曼珠沙華が顔を出してきたのだ。
何と言う生命力であろうか。雑草が覆っているときはじっと伏せていたに違いない。この生命力があればこそ、飢餓のときの「救荒食」たりえるわけだ。今ではこれを食べようなどと考える人はいないはずで、薬用に使うこともなくなったようである。そのかわりかどうか、品種改良もされているようで、黄色だの、白いのが赤いのに混じってさいているところを見かけるようになった。
曼珠沙華と言えばあの「紅蓮」が強烈なイメージの中心にあり、白を見てもぴんとくるものはないが、これも世の流れ。
ただ、俳句の世界ではまだ認知されてないようで、「曼珠沙華」と言えばやはり「紅蓮」なのである。

群生

大和川なぞへ粧ふ曼珠沙華

法面に目がいった。

曼珠沙華というのは多年草で、根茎がしっかりと根をおろすので固まって咲く習性がある。この一叢も俳句の題材になるのだが、今日目撃したのはそれこそ法面一面がびっしりと赤に彩られたもので、群生、群落といってもいいくらいである。
この程度の句しかできないのも情けないが、時間をかけて推敲してみる価値はありそうだった。

白毫寺 その2

破れ塀をいたわるごとく萩の叢
山門を拝してよりの萩の磴
巷間のちまた一望萩の磴
相寄りて磴をせばめる萩の叢
裾触るるばかりに萩の相寄りて
登るにつけ下るにつけて萩の寺
白萩の土になれそむ零れかな
破塀をつつみかくせる萩の寺
裾濡れずしてゆきがたき萩の道
萩の蹬たどらばおのず相寄れる
萩の蹬おのずと寄れる二人かな

さすが萩の寺である。

白毫寺の破れ塀

今年は夏の気候が悪かったせいかことのほかできはよくないと受付の女性はこぼしていたが、それでも今日あたりが花盛りだというタイミングで見事なものだ。
特に山門をくぐり境内に上がる石段の両脇には、競うかに紅白の萩がこぼれていて、階段の幅は5メートルほどだろうか、その半ばを覆うようにしてしなだれているのだ。

白毫寺の石段と萩

今は萩が大人気で人の目は萩に吸い寄せられているが、花の寺といわれるだけあってほかにも秋の草花がひっそりと咲いているところもある。

きちかうも花の御寺の名に恥じず
柴垣も杉戸も鎖して秋の草
椿の実割れて落つるも残るのも
落ちるもの割れたるものも椿の実
参道は一本花の曼珠沙華

明日が句会なので今日はいっぱい作らなきゃ。萩で勝負だ。

案山子コンテスト

昨日より距離を伸ばして曼珠沙華

汗を何度も拭う。

午前中のまだ涼しいうちにとリハビリ散歩。すっかり足の筋肉が落ちているので、3日目の今日はふくらはぎが張っている。あせらず少しずつ馴らしていけばいいとは思うのだけど、やはりこの暑さだ。足を止めては水筒の水を飲み、タオルで額の汗をぬぐう。今日は昨日より歩く距離をのばしたいので堤防を遠回りしていると、荻の生い茂る斜面のここかしこで曼珠沙華が芽吹こうとしているのを見つけた。これから半月のあいだ県内の各地で真っ赤な花を見ることができるのだろう。

飛鳥の里では曼珠沙華の咲く棚田で案山子のコンテストが行われているそうな。体力が回復できたなら自転車でも行ける距離なんだけど。今シーズン、間に合うかどうか。

白と赤と

新しき慰霊碑二本曼珠沙華

関西に引っ越すのでペットたちが眠る霊園にお別れをしてきた。
今日はお彼岸で道路は大混雑。

霊園も大賑わいだったが、線香で煙る霊園の中で大震災で犠牲となった動物たちと人のための慰霊碑二柱が目に付いた。
新しい白木の柱の根元には真っ赤な曼珠沙華 が添えられていたからだ。