現調

築山の観音堂の蝉時雨

刈り込みの庭が見事な禅寺。

通常なら石庭なのだが、ここは石州流の祖と言われる片桐石州が創建した寺、慈光院である。
来月の句会会場となっているので、現地調査も兼ねて訪れたのだが、樹木の種類も多く一歩山門に入れば温度も幾分低い。ちょっと風もあるようで、堂内を風が抜けるのが涼しい。
接待の梅ジュースでさらに気分もすっきり。
このところ、毎日クマゼミが庭を飛び回っているので、いささか閉口していたが、ここでは蝉の鳴き声もどこか慎ましげで、気にはならない。
露地をめぐらせて、広い庭園を歩き回れるような趣向が懲らされているが、築山の上にはかわいい祠のような観音堂が見える。大きな木が覆っていてそこもまた涼しそうである。
実際に庭をめぐる楽しみは来月にとって置いて、今日は資料だけいただいて失礼した。

俳号なんとかしたい

紺浴衣学年ひとつ上にして

近所に評判の美人姉妹がいた。

歳は離れているのだが、妹のほうは私より一学年上で、たまに道などですれ違うたび眩しくてしょうがない対象であった。あるとき、姉が嫁ぐことになり、一目見ようと近所の人たちといっしょに駆けつけた。花嫁衣装の姉はますます美しく、周囲からどよめきがあがったり、溜息がもれるのがはっきり分かるほどである。
いっぽう、花嫁に付き添いの妹は、和装に包まれた姿がなんとも楚々として、ふだんよりぐっと大人びて見える。さらに姉に負けず劣らずの美しさである。
彼女が中学に上がって以後すれちがうことも少なくなったが、さらに一年後私が中学に上がると遠くから彼女と認める機会も増えた。ちょっと見ない内にさらに彼女が歳の差以上に大人びて見えて、手の届かないように思えた。
わずか一学期で転校となったので、その後の彼女の消息は知れないが、その名前は名字が母の旧姓と同じだったせいもあって今でもはっきり思い出す。
俳号を名のるとすれば、母方の姓でもと思うこのごろである。

10分の花火大会

風呂浴びて小さな町の花火かな

浴槽にいたら町の花火が始まったようである。

奈良は行政単位が小さいので、町主催の花火大会がいくつもある。
ふだん日程など気にしてないから、音がして初めて「ああ、今年もそういう時期なんだ」と気づくわけである。
今日は土曜日だから、明日の日曜日もまたどこかの町で花火が上がるであろう。
町の花火だから規模もせいぜい10分ほどで終わる可愛いものである。
今日も浴槽にいたから間に合わず音を聞くだけで終わってしまった。

チリチリ灼ける

ごみ出しの袋二つの麦わら帽

朝からチリチリするような日の強さ。

つばが広くてすぐに脱げてしまうので、あごひもをしっかり締めて麦わら帽の出番である。
袋がゴミネットからはみださないことを確認したら、あとはもう一目散に家に駆け込む。
今日は、9時に早くも30度、湿度は84%。もう我慢できないので即冷房スウィッチオンである。
skyblueさんの東海地方は、40度超の新記録だとか。水いつもより一杯多く飲むなど、熱中症にお気をつけください。

7年前の夏

介護ベッドこころみ起こす夜の秋

終末期の母が家に来たのは7年前の8月だった。

自宅で最後を看取ると腹を決めて、緩和治療医を近所に探し、レンタルの介護ベッドも用意して、万端整えて迎えたのである。
しかし、エアコンも四六時中効かせたが、もともと昔から暑がりであった母は、しきりに暑い暑いを繰り返した。
これが今年のような炎暑だったらもっと大変だったのは間違いない。
そうこうするうちに秋に入り、目に見えて母の状態が悪くなり、あっというまに帰らぬ人となってしまった。
この二三日、夜だけはいくぶん風が出たりして多少はしのぎやすくはなってきた。
暦のうえでは今年も夏の終わりとなってきたが今月も引き続き暑い日が続くという。あの年の夏が暑かったのどうか、今となってはさっぱり思い出せない。

惑星のゆらぎ

風死んで近き火星のゆらぎけり

遠花火かなと思って外へ出た。

爆音のような響きが大和川方面から伝わってくる。もしや隣接の柏原の花火かと思ったが、平日に花火大会などはないはずで、オートバイかなにかの爆音だったのかもしれない。
踵をかえそうとしたとき、南の空にひときわ赤く明るい星が見える。
これが、何年ぶりかで地球にもっとも接近してきた火星だとはすぐに分かった。

あいかわらず風がない夜だが、ときどき火星の光りが揺らいでいる。惑星のはずだから瞬くことはないが、昼間に温められた空気が夜になっても動いているのだろう。

五感

端居してテレビの予報聞くとなく
端居して聴覚だけの五体かな

涼しい場所を選んでは暑さ除け。

とくに何すると言うこともない時間が流れてゆく。
目は庭木などを眺めてはいるが、耳にはいろんなものが飛び込んでくる。
道行く子供たちの声、蝉の声、そう言えば最近鶯の声が聞こえなくなったな、とか。
朝もまた暑い日なんだろうかと考えながら、隣室につけっぱなしにしているテレビの予報に自然と耳をすませている。
このとき、五感は聴覚だけが働いている。