繰越?

打ち止めの大玉ずんと地区花火
地区花火果てて各戸の拍手かな
ブラタモリさなか始まる地区花火

ブラタモリの境港・米子編を興味深く視ていたら町の花火が始まった。

いつもあっさり終わってしまうので、テレビを気にしつつ窓の外を伺っていたらいっときの連発があり、その後は間遠になったので終わったかと思ったがしばらくしたらまた上がりはじめた。結局いつもの年の二倍か三倍の時間、十五分か二十分くらい続いたろうか。
その間何度かの連発もあり、腹にずんとくる大玉もある。
7月だとばかり勘違いしていたのだろうか、今年は夏休みの最終土曜に行われたことになる。コロナ禍で久しぶりの花火かも知れず、それで特別に予算を繰り越して小さな町としては豪華な夜になったのかもしれない。
打ち止めの一発があって、各戸から拍手が湧いた。
風呂上がりの家人は外に出るのを遠慮して窓からのぞいていたようだ。
子供たちのいい思い出になった夜であった。

普段着

どの家も部屋着さまざま遠花火

土曜日だったか、隣町だったか花火大会があったようだ。

対岸の丘の向こうに打ち上げ花火が上がる音が聞こえて、つられるかのようにどの家からも人が出てきてみな花火の方向に顔を向けている。なかには歓声をあげる子供もいて家族のいい思い出にもなったようだ。
7月末から8月にかけてこのような催しを各自治体が行うが、このあたりは大きな町ではないので、どこも時間は短い。最も短いのは五分くらい。市のクラスになってもせいぜい10分程度。
それがかえって気楽な催しで、みながそれぞれ花火を近くで見ようと押しかけることもないし、当然店も出ない。音が聞こえてはじめて花火だと知って玄関や二階のベランダなどから鑑賞する。暗いからだれも着飾ったりしない。
人が出なくてもコロナ禍にあっては自粛する向きもあったが、今年は当たり前のように戻ってきた。
小さな町ならではの夏の楽しみである。

小さな町の小さな花

三尺で締めて花火のレイトショー

人口一万の町の花火大会。

大会と言うにはあまりに短い5分間だが、7月末土曜恒例の花火の日である。
とくに前宣伝をするわけではないようだが、何しろ花火が近いので家の中に居てもよく分かる。
近所の人もみな門前に出てきて、夏休みに入った子供たちの大きな声が聞こえる。
大団円は大きな音を発して大輪の花が咲いた。三尺とはいかないが小さな町のどこにも見えて十分な迫力である。

悪霊払い

打ち上げの花火と夜間飛行の灯

昨日は全国的に花火の日だったらしい。

我が町は昨日豪雨だったので今日に順延したようで、梅雨空の暗い空に煙をたなびかせながら大和川河原から10分ほど続いた。
有名な花火大会にはもちろん及ばないが、これはこれで住民サービスの一貫で、近所から次々人が出てきて見やっている。
コロナや長梅雨にあきた子供たちの歓声も聞こえて、やはり花火というのは人の心を沸き立たせるものがあるようでいくらかは慰めになったのではなかろうか。

大花火

腹に来る花火続いて大団円

いくら花火大会でも、テレビで見る花火はやっぱりだめだ。

今日は台風の影響もなく、恒例の大曲花火が中継されているが、パラパラと聞こえはしてもド〜ンという腹の底に響くダイナミズムには全く欠けて、間の抜けようったらない。
腹にずしんとくる花火というのはよほど玉が大きくなくてはならず、地方のちっぽけな町ではなかなかお目に、いやお耳に達しない。
たとえ、近寄るのは大変でビルの隙間からでもいいから、都会の大花火大会をもう一度みてみたいものだ。

10分の花火大会

風呂浴びて小さな町の花火かな

浴槽にいたら町の花火が始まったようである。

奈良は行政単位が小さいので、町主催の花火大会がいくつもある。
ふだん日程など気にしてないから、音がして初めて「ああ、今年もそういう時期なんだ」と気づくわけである。
今日は土曜日だから、明日の日曜日もまたどこかの町で花火が上がるであろう。
町の花火だから規模もせいぜい10分ほどで終わる可愛いものである。
今日も浴槽にいたから間に合わず音を聞くだけで終わってしまった。

鎮魂花火大会

花火師の影の浮かべる艀かな
開くたび海上染める花火かな
大花火果てて覚悟の渋滞へ

海の上から軌跡を描いて火の柱が登ってゆく。

太平洋の真上に大花火が浮かぶ。
歴史のある熊野鎮魂花火大会である。
昭和30年代の頃は、七里御浜の砂利浜に寝そべってゆっくり見たものだが、今は遠く名古屋、大阪方面からも見物客が押し寄せ、あの狭い町に20万人が集中するらしい。毎年8月17日と決まっているが、浜の予約席は早くから埋まってしまって、当日気楽に見物しようなどと思ったらひどい渋滞でたどりつくのさえ難しいという。

この六月に亡くなった同級生のF君は熊野出身、この日初盆の精霊供養の花火が上がるかもしれない。