マフラー音

750ccの響乾いて秋の空

十ヶ月ぶりに車のワックスがけをした。

水洗いだけで済ますつもりが、天気があまりに気持ちいいので、車内の清掃、ワックスがけまで一気だ。
意外に疲労感はなく、これも秋晴れのなす技かもしれない。
お向かいのご主人も今日は休暇と見えて、秘蔵のカワサキオートバイを庫から出してメンテナンスに余念がない。
最近はリターンライダーという言葉もすっかり定着したが、子供の手が離れ仕事にも余裕がでて、若いころ親しんだバイクに再び戻ってくる人が多い。ひとつには、バイクの大型化もあって大型免許を取得し直すほどの静かなブームである。
お向かいはまだお子さんが小さく、メンテナンスした日に近所を一巡りするだけのささやかな楽しみに抑えておられるようだ。ただ、マフラーには相当はずんだようで、イグニッションオンしたときの響きがすばらしい。
あと、十年もしたら、バイクツーリングを楽しむ休日になるのかもしれない。

新世界へ

秋晴や父子で就学説明会

来年の新一年生の緊張する日。

今日は父兄も同伴の説明会というか、就学前の健康診断の日らしい。
隣りも、自治会で見知った顔も家の前を通り過ぎてゆく。
自らを振り返ってみるに、私らの時代ではそんな体験をした記憶はない。
入学直前までいろいろ家は転々と引っ越しをしていたせいか、幼稚園にも通った経験はないし、早生まれのハンディもあったのだろう、目立った子ではなかったろうし、友だちづきあいもいない。入学から3年生までの記憶はすっぽり抜けてしまっている。
覚えていることと言えば、虫下しを飲まされた後のまずい肝油ドロップ、そして給食の関東炊きだけ。これは料理レパートリーの少なかったわが家ではお目に掛かったことのないうまい料理だった。
ようやく学校が面白くなってきたのは、転校していい先生に恵まれたことだった。あれこれ役目を授かって、学級でも積極的に振る舞えるようになったし、友だちともおおいに遊んだ。
その後も何度か転校を繰り返したので竹馬の友と呼べる友人はできなかったが、今日までいろいろな友だちに恵まれて、おかげで俳句という世界に遊ぶことも知った。
今日、わくわくしつつもなかば不安な気分で初めて小学校の門をくぐった新就学予定児たちに頑張れといいたい。

年会報

巻頭に寺さん悼み秋の風
秋風や同志また欠け年会報
消息の知れて身に入む年会報

労組専従時代のOB会報が届いた。

専従はつごう六年にのぼり、いま考えても最も濃い日々の連続であった。
そのなかでも、現場を離れた三年間は機関誌編集にたずさわり、いままで触れたことのない世界の人々に接するにつけ毎日が刺激的で新鮮に思えたものだ。
OB会というのは、永年指導いただいた名物編集長を囲む会であったが、先生が亡くなられてから一時途絶えていたのを、メンバーがほとんど職をひいたこともあって復活したものである。
年に一回開かれる会に出席するには、毎回1400字くらいの小文を提出しなければならず、当日は早めに着いてまずはこの会報をじっくり読み、それがまた総会・懇親会の肴になるのである。
欠席のため再開二号が届いたが、巻頭は永年組合、そして参院議員として活躍された故寺崎昭久氏こと通称「寺さん」を悼む追想文である。去年訃報に接したときも驚いたが、こうして再び寺さんの知らない面をうかがうと寂しさがふつふつとわいてくる。
元いた組織は大きな改革もあってとうに無くなっているので、OB会には新入会員もなく先細るだけだが、みんなの近況を読むとまだしばらくは続きそうにも思える。

青い月

宮入の山車庫鎖して後の月

昨日は十三夜。

陰暦九月十三日の月が冴え渡った。
渡御が終わり、太鼓台を蔵に納めれば、いよいよ直来の席である。男どもは八幡さんの境内にブルーシートを敷き神饌の酒を酌む、女どもは絵馬殿で賑やかに。
狛犬の足もとにはまだ青々とした稲穂を供えられ、今年の収穫を感謝する、いわゆる「秋祭り」なのである。
たがいに子供の頃から見知った氏子ばかりだから、座は月が随分高くにかかっても終わりそうにない。
夕からいちだんと輝きを増してきた月は、さらに青実を増してきた。北風も出て寒いくらいの夜。
案の定、今朝は10度くらいにまで冷え込んだようだ。

紅白とりまぜて

饌撒いて秋の祭の果てにけり

龍田大社の例大祭の太鼓台宮入見物に出かけた。

町内から七台が繰り出し、その代表一台が境内の石段を何トンかありそうな太鼓台を持ち上げ進むのがハイライト。
拝殿前で激しく練って宮入の大団円。

宮司祝詞につづいて太鼓台衆の玉串奉奠が終わるとあとは恒例の餅撒きである。
年甲斐もなく両手を差し出してはすくい、また、すぐには曲がらない腰を無理矢理低くしては落ちた餅を拾う。紅白とりまぜて五つと望外の成果を得た。

こけおどし

竹竿に風の意のまま鳥威

両翼を広げるような鷹を描いた凧が地面すれすれに揺れている。

鳥威しである。
竿の先端にぶら下げられ、竿には弾力があるのでちょっとした風にも360度、上下に休むことがない。
洋風カイト型だから、広げた翼がいまにも覆いかぶさるようにして、威嚇効果は十分である。
いろいろ虚仮威しの鳥威しを見るが、今日見たのは鳥たちにとっては脅威になることは間違いないだろう。
大和の稲刈りはまだまだ終わらない。

大和の巫女

代々の大和巫女舞ひ里祭
竜田道幟の綺羅や里祭

昔の竜田道あるいは信貴山道に沿って古い家並みが続く。

そこには、どの家も門柱に真新しい幟幡を掲げている。
今週末の龍田大社の例大祭に合わせた在の秋祭りを告げているわけだ。八幡さんあり、素戔嗚尊さんあり、在によってそれぞれ違うがほとんどが宮座衆によって守られてきたお社だ。
当屋といわれる代表が祭をしきるので神職は不在だが、ここ大和では同じ巫女さんがあちこちの杜で神事を執り行っている。いかにも霊力のそなわった雰囲気で、湯立神事や神楽を舞う。テレビでも、各社の行事があるたびに「あ、またあの巫女さんだ」ということが多い。
関西、とくに大阪などでは昔から霊性の強い巫女さんに占ってもらったり、祈祷してもらったり口寄してもらったりという俗信的な慣習があったが、それとよく似た慣習がここ大和でもあるということだろうと勝手に推測している。