百舌鳥の声午後の時間の止まりけり
だんだん秋に染まってゆく。
1週間ほど前から百舌鳥の引っ張った声が聞こえるようになった。当たっているかどうか分からぬが、日射しがあって風もあまりない日によく鳴くのではないだろうか。やや汗ばむような午後、百舌鳥の声におもわず足が止まった。そのとき、もうすっかり秋なのだとしみじみ思うのだった。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
百舌鳥の声午後の時間の止まりけり
だんだん秋に染まってゆく。
1週間ほど前から百舌鳥の引っ張った声が聞こえるようになった。当たっているかどうか分からぬが、日射しがあって風もあまりない日によく鳴くのではないだろうか。やや汗ばむような午後、百舌鳥の声におもわず足が止まった。そのとき、もうすっかり秋なのだとしみじみ思うのだった。
秋分を過ぎて長湯にもどりけり
風呂の温度を上げてみる。
いつもは開けて熱気を逃している窓も閉めたままだ。
寒いくらい冷たい風が吹く夜。
肩まで浸かってゆっくり入るのはひさしぶりだ。
出席と返書したたむ燈火かな
中学のクラス会の案内がきた。
毎年10月ごろに開かれており、今年はもしかしたら俳句仲間との一泊吟行とぶつかってしまうのではないかと危惧していたが、どうやら大丈夫のようだ。去年は奈良に引っ越ししたばかりだったので何はともあれ出席と思っていたが、案内をもらった時には母が重篤の状態だったのでやむなく欠席したのだった。
ところで、この会には特別な思い入れがある。
全校でよくもこれだけのワルを集めたものだというクラスで、下級生のホームルームでは「あの組には近づかないように」と通達されるほどだったらしい。だから、担任の先生のご苦労は並大抵ではなかったはずだが、その先生はまだまだ健在でいらっしゃる。もう4,5年はお会いしてないのでお顔を見るのが今から楽しみである。
級長をやっていた私としては、ことがあると一致団結するクラスはおおいに自慢だったし、だいいち運動神経抜群がそろって運動会ではダントツの優勝、卒業生総代も才媛のH嬢さんがつとめるなど学力もなかなかのもの。ひとりひとりがそれぞれの光に輝いてクラス全体がいきいきとしていて、昨今の「いじめ」などは微塵も感じることはなかった。今風に言えば、みんなお互いに「レスペクト」していたと言える。
ただ、この歳になるとすでに物故者となった人がいるのもやむを得ないことだが、そのなかで一昨年に亡くなった、当時番長をはっていたO君のことは終生忘れないと思う。複雑な家庭事情があってグレかけたが、もともと頭がいいし、強きをくじき弱きを助けるという任侠心にあつかったのでクラスの誰からも愛されていた。中学を卒業してそれぞれの道に進んでから交流は一時途絶えたが、受験に失敗した僕に声をかけてくれたのがO君だった。何度か一緒にドライブに連れて行ってくれたし、夏には紀勢町の海のキャンプに誘ってくれた。誰もいない静かな海に潜って見たことがないような珍しい貝を獲っては食い、疲れれば昼寝したり、今思えば失意にいる僕を精一杯なぐさめようとしてくれた彼らしい思いやりだったのだ。
往復葉書の返書に「出席」と丸をつけながら、ひとしきりいろんな仲間の顔を思い浮かべるのだった。
ヘルメット風切る音や芒原
自転車ではない。
車を出すほどではないが、荷物などあると歩いて往復するにはちょっと辛い。そんなときのために原付バイクを買った。このてのバイクのなかでも一番軽量で取り回しがしやすいし、だいいち安い、それにスピードもたいして出ないがちょこちょこ走るには最適だ。
大柄な人が乗ろうものなら「三輪車に乗ったサーカスの熊」然として格好が悪かろうが、小柄な自分では問題はないだろう。
ペーパードライバー同然の妻がメインに使う予定だが、今日は病院で証明書をもらうために、娘のキャップ型のヘルメットを借りてひとっ走り。途中の堤防で風を切って気持ちよく走ると、道路脇の芒が揺れた。
秘仏にも念仏十ぺん秋彼岸
街道は大変な渋滞だった。
難波から竹内街道を経て、盆地を東西に横切り飛鳥までを結ぶ官道「横大路」ができて今年は1400年だそうである。
今日はその竹内街道脇にある愛猫が眠るお寺から、母の菩提寺となる大三輪の平等寺さんへと盆地を横断する格好となった。
葛城方面に南下する県道180号線では二上山、當麻寺あたりから渋滞が続く。今までになかったような渋滞だったことから、鎌倉霊園に向かう朝比奈峠のようなお彼岸渋滞ではないかと勝手に想像しているが、はたしてどうだろうか。
3連休ということもあるのだろうけど、大神神社も大変な賑わいで車の渋滞も激しい。なんとか脇をくぐり抜けて平等寺さんにたどり着けた。このお寺は聖徳太子開基とされ、大神神社の神宮寺として中世隆盛を誇ったお寺だが、明治政府の最大の愚策「廃仏毀釈」により壊滅状態になったのを戦後再建された。辛うじて難を逃れたのが、現在聖林寺にある国宝「十一面観音」さんで、そのデータをもとに復元された観音さんが本堂に鎮座しておられる。
和辻が絶賛した美しい観音さんのコピーであるが、曹洞宗の例にならって「南無釈迦牟尼仏」を10回唱えて感謝の祈りを捧げた。
途中香芝付近を走ると「紅乃屋のおはぎ」という和菓子店のチェーンらしきものがあって、いつも買い求める車が駐車している。とりわけ今日はお彼岸と言うこともあって交通整理の警備員さんも動員されていた。春には「牡丹餅」、秋には「お萩」。「お萩」は秋の季語にもなっているほど季節に深く関わっており、彼岸の頃の気候とあいまって陽気に包まれた暖かい雰囲気を感じることができる好きな言葉だ。
老猫と子猫三匹居待ち月
9月下旬に入ったが昼間はまだまだ暑い日が続く。
彼岸のころになると太陽もずいぶん傾いてきて、部屋の中に光がいっぱい入ってくるようになった。まだまだ気温30度以上の日が多く、今頃になってホームセンターまで簾を買いに行く始末。案の定2店は適したサイズのものは売り切れで、ようやく3軒めで手に入れることができた。
このところやっとのことで親離れした子猫たちが日がな窓から外を見てるのが簾で視界をさえぎられていかにも迷惑顔だが、それでも夕食後和室に寝そべっているとみんなやってきて一緒にまったりとした時間を過ごしている。
明日もきっとこの子たちと寝待ち月なんだろうな。
老ひた眼に立ち待ち月の丸ければ
もういい時分ではないかと9時頃空を仰ぎ見てみた。
月の明かりに照らされた空はまるで海のように見え、ぽかぽか浮いた雲は波のようである。その波の中から顔を出すように17の月がくっきりと見える。ただ、老眼の眼には2日前に見た満月と変わらないくらい丸く見えるのだ。
もちろん、裸眼なので乱視の入った目には正確には見えないのだが、眼鏡をかけたところで大差はない、と言えるところまで視力は回復しているのだが。