道案内

万とつく木の実一粒降りにけり

久しぶりに飛鳥へ。

橿原方面に所用のついでに石舞台から祝戸方面へ1時間ほど足をのばした。
椎の木の実だろうか小さな粒をいっぱいつけた木がめだった。とくに玉藻橋少し上流の淀にかかる木がみごとで、そこから落ちる実はことごとく飛鳥川に沈むことになる。
昨日今日落ちたばかりと思える、青い実のまま落ちている団栗も多く、今日の強風にたえながらもいつ落ちるかどうかはなはだ心もとない。
カメラ片手にぶらぶらしていたら、地元の人間と見られたのか飛鳥散策の観光客に道を尋ねられた。橘寺と稲淵の棚田が見たいと言うのだが、玉藻橋付近からすると下流と上流、それぞれ逆方向なのでまずは稲淵への道を教えて差し上げた。

旅の途上

かはせみの奔るを見しか秋時雨

何年ぶりだろうか。

雨が来て引き返す途中、目の隅に一瞬間カワセミをとらえたのだ。
志貴川といかにもたいそうな名前をもっているが、実は小さな流れ。信貴山からしみ出る水を集めて急峻な山裾をうがいた谷が大和川になだれこむ。
最近大きな改修がおこなわれ、大きな段差をいくつも設けて流れをゆるやかにしたところをカワセミが登ってゆくその背中をとらえたのだった。ただ、コンクリートで固められた部分が多くては、はたして餌場となるような場所があるだろうか。
今の時期は今年生まれの若鳥がテリトリー求めて放浪の旅の途上であり、定着の場となるのかどうか。
これからはしばらく流れから目を離せない。

ゆがく

落花生土つくままに後の月

豆名月とも。

ちょうど今が豆の収穫時期と当たっていて、たくみな命名である。
もっともこの場合の豆は大豆、大角豆の種類であって落花生までは想定されてないであろうが、たまたま菜園の先輩から身をたっぷりつけた見事な落花生一株を分けていただいた。
まわりの畝をみまわすと落花生の株がほんのり黄味がさして収穫時期であることが知れる。
土付きの殻を外してゆがいて食ったが、生の落花生独特の昔懐かしい味がした。

今は昔

肌寒の腰に短くデニム履く
肌寒のポケット浅きデニムかな

急に冷え込んだ。

明らかに夕べの雨が冷たい空気をもたらしたのだ。
一日で10度も下がると寒さは倍加し、厚手のジーンズでも足もとからぞわぞわしてくる。
ポケットに手を突っ込んで温めようにも浅すぎて役に立たない日である。
ジーンズは腰で履けと言われパンパンの尻を自慢げに若さを謳歌していたのは今は昔の話。
やはりモンベルの冬仕様のズボン(古い!)に履き替えようか。

まとまった雨

降りそめの音渇きたる秋の雨

風呂に浸かりながら久しぶりに聞いた。

先だって二週間ぶりに降ったのは未明だったので、雨音をこの耳でしっかり聞きとめたのだが最初は乾ききった大地をかさこそたたくようだった。しばらくしたらいつもの雨音に戻っていたのだが、今日はまとまった雨になる予感である。

用途

あをきまま切り刻まれて今年藁

まだ青い。

青いのが無雑作に切り刻まれて田に捨てられてある。
本当は捨ててあるのではなくて来年用の堆肥代わりに放置されているのであろうが。
今どきは機会で苅るので、刈田を近づいて見るとほとんどが細かく刻まれて株の間を埋めている。
機械の入りにくい隅などは手刈りするようで、藁束がこれまた無雑作に田に放置されてもいる。特別な用途もなくそのまま朽ちてゆくのであろうか。

蒲団の取り合い

自転車のブレーキ鳴いてうそ寒し

朝方がずいぶん寒くなった。

寝入る前の夜はそうでもないので夜具はかけない日が続く。ただ、夜中に寒さに目覚めていざ夜具をかけようとしたときにかぎって次男猫が夜具の上に一文字で寝ていたりして、結局朝までちぢこまっているしかなかったり。
眠りが浅かったせいか昼食を食べたら眠くて仕方がない。
かくて今日も猫と並んで昼寝タイム。