秋闌けて野花の鼻炎もたらしぬ
朝からくしゃみ、鼻水が止まらない。
風邪でもないのでどうやら秋の花粉症らしい。
ブタクサ、よもぎなどお花粉である。杉や檜より花粉のサイズが小さいので、悪くすると肺深くまで達することがあり、そうなると重症化する危険性もあるとか。
君子危うきに近づくなとは言うが、まさか家にじっとしているわけにもいかずいったいいつ頃開放されるのか、さて困ったものだ。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
秋闌けて野花の鼻炎もたらしぬ
朝からくしゃみ、鼻水が止まらない。
風邪でもないのでどうやら秋の花粉症らしい。
ブタクサ、よもぎなどお花粉である。杉や檜より花粉のサイズが小さいので、悪くすると肺深くまで達することがあり、そうなると重症化する危険性もあるとか。
君子危うきに近づくなとは言うが、まさか家にじっとしているわけにもいかずいったいいつ頃開放されるのか、さて困ったものだ。
秋行くや徒に写せし画像消す
やや暖かい日が戻った。
しばらくは日中20度を超す日が続くという。
いよいよ秋の終盤にさしかかったが、近年は秋が短いのでいまのうちに秋を堪能したほうがよさそうである。
だんだん日も短くなってきたし、昼間の日が高い時間をねらって外で太陽を浴びたいと思う。
家に戻れば、スマホの充電かたがた何も考えることなく撮りためた写真を整理したらあっという間に夕方になっていた。
秋雨の日がな二上山隠しけり
雨音で目覚めた。
最近は体を動かしているせいか夜はよく寝られる。夜中に寝覚めることもなく、朝方までぐっすりと寝られるのはありがたい。
そこからさらに1時間ほど寝ると目覚ましが鳴って一日の始まりである。
さすがに雨となるとやることがなくなる。おまけにパソコンの椅子は長女猫・小町のお気に入りで、席を立った途端に滑り込んできて動こうとしない。メールチェックもできないまま、仕方なく今のソファで過ごすことになる。
結局、朝から電気を灯す一日で終わった。
鳥塚の彫りの深さの秋日濃し
寒い日がつづいたあとの今日の暖かさはさながら小春日和である。
風もなく背中に浴びる秋の日にすぐ汗がにじむ。願ってもない快適な秋日である。
菜園には紋白蝶が盛んに飛んで、あちこちの菜っ葉に卵を産みつけている。これから平年の気温に戻ると言うから活動は衰えることもなく、しばらくは青虫とのおつきあいがつづきそうである。
そろそろ小鳥たちもやって来る頃。冬は冬で楽しみがある。
深秋や大手を振りて歩を伸ばす
今日から二十四節季「霜降」だという。
この霜降から立冬までに、初めて吹く強い北風を気象用語で「木枯し一号」というらしい。
近畿では奈良をのぞいて今日観測したという。盆地は風の影響が少なくてありがたいが、当町では真冬には厳しい信貴山颪がつづく。
コロナを口実になまっていた体に活を入れるためにも今日は大股で歩いてみた。
種採って先祖に顔のたちにけり
種を採る親指の爪黒くして
晴天のこの日を選び種を採る
季語にいう種採というは一般に花の種をいうらしい。
たしかに花というのは春から夏にかけて咲くものがほとんどで、そこから種を採るといえばちょうど今頃の季節であろう。
いっぽう野菜はと言えば種類によって種採の季節は異なってくる。
大根や葉ものなど冬野菜を代表するアブラナ科に属するものは初夏のころ種をつけるものが多い。人参、玉ねぎなどもそうである。
かたや夏の野菜の代表とも言える胡瓜、茄子、トマト、オクラなどは秋まで十分熟させて種を採る。
スイカや南瓜などの実ものは食べたあとの種を採ればいい。
今日はたまたまプランターのニラの一本が種をつけたので採取したが、完全に乾いてないものも混じっていたらしく封筒にしまってもニラの匂いが消えない。ちょっと早かったようである。
このまましばらく乾かして菜園にまいてしまえば来春には定植に格好の苗となるだろう。
溝蕎麦の水の交はるところまで
溝蕎麦の群れて水音やはらめる
玉藻橋は栢森、稲淵方面からの飛鳥川、祝戸のふぐり山からの湧き水、そして多武峰から流れ込む冬野川の合流点にある。
冬野川はとても小さな流れで飛鳥川の水量には及ばないが、川底は栗石が敷き詰められ大きな落差をもって飛鳥川に流れ込む。そのまさに落ちようかというあたりは流れもゆるやかで、祝戸橋の上から手が届きそうな場所にびっしりと溝蕎麦がおおっている。白い花のみごとな群落である。
観光客は玉藻橋やその先の稲淵などに気をとられて祝戸橋は見向きもされないが、その足もとには飛鳥らしい素朴な世界が広がっている。