かかりつけ医

身に入むや両の腕の針の跡

いつものかかりつけ医に町の無料健診を受けてきた。

最近なんだか疲れやすく体力が落ちてきたように思うので、まずは癌マーカーの検査も頼んできた。精度がどの程度か分からないが、結果によっては再検査することも頭に入れなければならない。
たまたま今朝のテレビを見ていたら、このコロナ禍で受診者が減るだけでなく、癌検診を受けない人も増えたのでいきなりステージ3の人が見つかるケースが増えているらしい。最低でも年に1回は受けておかないと発見が遅れ治療にも時間がかかる、あるいは手遅れにもなりかねない。
毎月の増血剤注射に加え、採血、そしてインフルエンザのワクチンと注射針の跡三つが両腕に残った。
今年はインフルエンザワクチンの量が少なく、希望者全員に渡らなくなりそうだから予約前に打つように勧められたからである。かかりつけ医をもつことの大切さをあらためて認識した日であった。

平年並み

掛稲に宵のひと雨走りけり

夜中に目が覚めたら雨が降ったような形跡がある。

朝の濡れ具合から1時間も降ってはいまい。
何しろ9月26日以来快晴続きだったのでもう少し降ることを期待したのだが、これでもよしとしようか。
雨を見越して少々蒔いた種にも幸いの雨となったことを喜ぼう。
菜園のある一帯の稲刈りはどうやら終わったようで、いまや珍しくなった稲架があちこちにたっているではないか。昨年はウンカの害がひどくて今年はどうなるかと注意してみていたのだが、ニュースでは盆地は平年の出来だと聞く。
何はともあれ農家は安堵の胸をなでおろしたであろう。

夕刊が来る?

体育の日の何処にぞいきたるや

今年も10月10日は快晴だった。

50年前の東京五輪開幕日は絵に描いたような秋空。その10月10日を記念して祝日「体育の日」が設けられ、その後長く天気に恵まれた祝日としてまさに運動会日和のイメージが定着したものだ。
ところがいつ頃のことだったか10月第二月曜日と定められ、当初祝日に込められた意味合いも世につれて移ろっている。しかも名前もこれまた知らぬ間に「スポーツの日」になっている。
そのスポーツの日も通常であれば今日の10月11日であるが、月曜の朝の朝刊は来ないとして不思議でないが夕刊はあるという。どういうことかと調べたら、今年は五輪のために7月に祝日移動されたんだと。
世にうとくなると暦の移動などとんと無頓着になってしまうものだなあとあらためて思うのである。
歳時記もいろいろ振り回されて大変である。

房なり

一つとて花なき家の柚たはは

午前中の日当たりが悪くなった。

というのも隣地に家が建ったからである。敷地が南面していればそれほどひどくはないのだが、南東に触れているのでこれから日の高さが低くなる季節になるとさらに日当たりが悪くなる。
今年の柿も柚も日差しが少なくなった割にはまあまあの実をつけてくれた。来年もそこそこ頑張ってもらうには剪定に工夫がいるかもしれない。ともあれ特定の枝に偏っているが、青い柚の実は房なりになって重たげである。

木守柿

柿もぐや日の目を見ざる枝のぬれ

気がついたら鳥に残す分まで穫ってしまっている。

今年は収穫を前にイラガという虫の襲来でがあったので、おそるおそる脚立から手を伸ばしながらの収穫だったので鳥さんの分までは気が回らなかったのである。
ともあれ20個以上はあったろうか、大きな袋にずっしりと重い。
店で売ってるのとはちがって種は多いし大きい。それでもこれから10日間ほどのデザートは柿となる。
そうそう木守柿となるものもなくて、碧空にまだ青い葉を残した枝が伸びているだけである。

無農薬実践の田

数珠玉の生ひて水口祓はれる

最近はめっきり見なくなった。

と思っていたらたまたま発見した。すでに水が落ちた水口に育っているのを。
ここは無農薬実践の田で雑草もけっこう伸びているが、稲も問題なく順調に育っていて稲刈りも間もなく。
稲刈り準備のために水口が開けられて今はもうその姿はないが、種が残っていたら来年もまた芽を出すにちがいない。

叱咤激励

馨しのけふあらたしき刈田かな

日中は30度を確認。

ここのところ晴天が続き28、9度近辺でそれほど句にならなかったのが、たった1、2度上がっただけでこれほど暑く感じてしまうのは不思議だ。熱気が漂う菜園ではかぐわしい稲の匂いが全身を覆う。
信貴山から流れ出る水の深い谷に沿って棚をなしながら田が続くが、今日からその一番下の田で稲刈りが始まったのだ。これから順々に上へと刈り取りが進んでゆく。苅ったばかりの田の匂いというのは独特で、稲と稲藁の入り交じったどこかゆたかな香りが辺りを立ちこめて思わず胸を開いて深呼吸するのが心地いい。
今日は虫喰いがすごいことになっている白菜に焼酎と酢の混ぜたものをぶっかけて活を入れてやった。