大蟻の蔓はひのぼる豇豆かな
台風が去ってもまた雨がくるという。
なんでも秋雨前線らしい。
こんなに暑いのにもう秋雨?と首をひねるばかりだが、まか不思議なことばかり起きる昨今である。
おかげで悲鳴をあげていた畑が潤って、なによりも畑よりも喜んでいるのが素人ファーマーであるが。
三尺ササゲの最盛期になってきた。
初めて食うが柔らかいうえに甘いときて来年もチャレンジしてみたくなる野菜の仲間入りである。オクラに続いて二つ目となった。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
大蟻の蔓はひのぼる豇豆かな
台風が去ってもまた雨がくるという。
なんでも秋雨前線らしい。
こんなに暑いのにもう秋雨?と首をひねるばかりだが、まか不思議なことばかり起きる昨今である。
おかげで悲鳴をあげていた畑が潤って、なによりも畑よりも喜んでいるのが素人ファーマーであるが。
三尺ササゲの最盛期になってきた。
初めて食うが柔らかいうえに甘いときて来年もチャレンジしてみたくなる野菜の仲間入りである。オクラに続いて二つ目となった。
背高の鉢を転がし初嵐
突風の一日だった。
奈良盆地は周囲に比べあまり強い風は吹かないのだが、今日は庭のものをずいぶん転がしてくれた。
いっとき小止みになったので起こしてみたのだが、それらもまた転がされる始末。今日は夜も吹くとかでもう放置するしかない。
空襲に耐へて大木桐の秋
昨日書いたイデオロギー抜きの女性党だが、なんと今日twitterに「田村智子さんを総理大臣に」というタグがトレンド入りしてた。
笑ってしまう。同じことを考える人がいっぱいいるんだなあと。
彼女ならば、原稿読み飛ばしは読み上げ原稿がのりでくっついていたからだと下読みすらしてないことがばれたガースーに対し、「核兵器ゼロが広島と長崎の犠牲者に報いる唯一のこと」というメッセージを寄せたNZのアーダーン首相にもひけをとらない立派な総理大臣になれるだろう。
コロナでいくら人が死のうが意に介さないこんな無能な政治家たちを養ってきたのが、我が国の民度だと思うと悲しくなる。
棟上の屋根葺く隣けふの秋
日差しがだいぶ傾いてきた。
傾いて部屋の縁に朝日が当たるようになり、今日から秋だというのに暑さが増したような気さえする。
植物はあいかわらず水をほしがるし、一日一回は水をやらねば枯らしてしまいそうだ。
枯らすといえば、数日前お気に入りの鉢楓が突然死してしまった。水にぬかりはなかったはずなので原因が思いつかない。掘りあげて根を確かめれば何か分かるかもしれないがこの暑さでは探究心もしぼみがち。おそらく10年以上のもので今さら新しいものを求める気も失せた。
新型コロナもますます手がつけられなくなってきて、何も有効な手を打たない当局にいらだつばかりである。
森といい、河村といい、ニッポンが間違いなくおじさん社会であることを世界にさらしてしまっては、この国の限界はここまでという気になる。右か左かのイデオロギーを超越した女性党を立ち上げて、八方ふさがりのおじさん帝国を打ち破ろうという女性はいないだろうか。
沢に風生れてかなかなかなかなと
名前の通り夕刻に蜩の声を聞いた。
youtubeではすでに各地に蜩が聞こえるが当地では初蜩である。
市民菜園のそばを信貴山から流れる渓が這っていて、そこは水だけでなく風の通り道でもありおかげで菜園は家にいるよりもずっと涼しい。
蜩を聞いてさらに涼しくなった。
蜩を聞いた以上もう秋なのである。
三尺で締めて花火のレイトショー
人口一万の町の花火大会。
大会と言うにはあまりに短い5分間だが、7月末土曜恒例の花火の日である。
とくに前宣伝をするわけではないようだが、何しろ花火が近いので家の中に居てもよく分かる。
近所の人もみな門前に出てきて、夏休みに入った子供たちの大きな声が聞こえる。
大団円は大きな音を発して大輪の花が咲いた。三尺とはいかないが小さな町のどこにも見えて十分な迫力である。
もろこしの丈われを越すいつしかに
ヤングコーンを採ってみた。
成長速度にむらがあって丈がまちまちで、雄花も雌花もばらばらにつけていたから、うまく受粉してないのではと心配していたが、ためしに二番花をそれぞれ収穫したら大きさはまちまちだがかなりの量が採れた。
皮をはいでのぞいてみるとちゃんとかわいい実をつけているではないか。
ゆがいたのをかじってみると「甘い!」。
こんな小さなころから甘いとは思わなかった。野菜臭さが残るものとばかり思っていたが意外にうまいのだ。
菜園仲間からいただいた甘いトマトとあわせて夕食のサラダが味深い。
トウモロコシの丈もまちまちだが、そのなかの半分くらいは2メートルはゆうに超えるサイズ。風にもまけず、倒されても起き上がり小法師のようにすぐ立ち直ってくる。たくましい。