盆休明けて影立つ通勤バス
いつもと変わらない通勤風景。
雨のせいか窓は曇りがち。異常なほどの感染爆発でも仕事とあっては出かけざるを得ない現役世代のひとたちの心情を思う。
政府が賴りにならない以上、コロナを決して甘く見ないで、自分や家族の命第一にと願わずにいられない。
祈るしかないのは日本国民が哀しすぎやしないか。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
盆休明けて影立つ通勤バス
いつもと変わらない通勤風景。
雨のせいか窓は曇りがち。異常なほどの感染爆発でも仕事とあっては出かけざるを得ない現役世代のひとたちの心情を思う。
政府が賴りにならない以上、コロナを決して甘く見ないで、自分や家族の命第一にと願わずにいられない。
祈るしかないのは日本国民が哀しすぎやしないか。
殘りたる西瓜半分ジュースにと
小玉西瓜にチャレンジしてみた。
あと20日くらいまでいけばと密かに期待していたのだが、水不足が原因だろうか旧に元気をうしなって熟すというところまではいかなかった。
それでも割ってみれば西瓜の甘味もあるし食べられないこともなく、それなりに美味しくいただいた。
何年か前に大玉西瓜で成功しているので、同じ難しさがあるのなら来年はスペースを割いて大玉でリベンジしようと思う。
今はずいぶんと数が生った真桑瓜をせっせと食べる毎日である。
浸水のレベルのしみや秋出水
毎年のように繰り返される土砂災害や川の氾濫。
ここまで水が来たと住民が指すニュースが痛ましい。このあと復旧作業という途方もない日々が待ちうけている人々の無念はいかほどか。
二年前は西日本豪雨と命名され中四国地方にかぎられていたが、今回は被害が広い範囲にわたっており日本のどこでも同様の災害が起こりうることを示した。これほどの規模の災害はこれからも年中行事のように発生すると覚悟しなければいけないようだ。
枝垂れたる梅這い上る南瓜かな
庭を独り占めである。
へちま型した南瓜の収穫が始まった。
まだまだ元気な蔓がいて殘りの養分を一身に集めるように、次々と新しい花、雌花が咲いてきてまた4,50日待つべきかどうか悩むところである。おそらく実が大きくなることはあるまいと思いつつ、今度咲いた雌花には試しに受粉してみようかなどとスケベ根性が頭をもたげる。
軒下にくゆる長雨の門火かな
こんな雨の日でも胡瓜のお馬で戻ってこられる。
お盆初日も中日も送る日も雨にたたられる予報である。しかもただの雨ではなく各地に災害をもたらすレベルの大雨ということだ。
西日本のどこかが毎年のように風水害に見舞われ、長年住み馴れた土地を捨てるにも捨てられない人々が年々ふえてゆく。該当の地区の住民にはお盆を静かに迎えるどころではなかろう。
コロナももはや災害レベルにまでひろがり打つ手もないらしい。何とも呆れるほどの無能政権である。
掃苔の出鼻をくぢく長雨かな
盆が過ぎても晴れは見込めなさそうである。
一週間予報をながめては溜息。
今日など気温が低かったからいいものの、盆明け頃から真夏日が戻る予報があたればうっとおしい日から逃げられない。
せっかくの夏休みというのに、子どもたちからも恨まれそうである。
パーカーの青きインクの涼新た
夜が涼しい日がつづく。
今日は雨の前の曇で日中でも35度には達せず、いつもより早めに菜園に向かった。
秋雨前線を前の貴重な一日。夏野菜には出遅れた分、秋冬野菜でリカバーしたいのでその準備で忙しいのである。出遅れの夏野菜は案の定出来が悪くさっさと見切りをつけようと思う。
菜園をやる前は8月の野良仕事なんてよくやるなあと他人事のようにみていたが、いざ自分でやりだすと苦にはならない。むしろ農とは半年先を見据えるものだと気づくのである。
土ができるまでには時間がかかるが、今日より半年先はと気長に構えようと思う。
インクはブルーブラックを使っている。ペン先をよく洗ってブルーに変えたら気分転換になるかな。