当たり外れ

思はざるフォークで西瓜掬ふとは

西瓜はがぶりかぶりつくもの。

そして種をぺっぺと吐き出すもの。
それが、いつしか専用の先割れスプーンで種を掻きだし肉を削って食う。しまいにはメロンのように刻んでフォークで食うとは。
プランターの小玉西瓜がめずらしくうまくできて、早速試食した。
皮近くまで熟して意外に甘いが、市販の西瓜ではここまで多くないだろうというレベルの種がぎっしり。こうでなくちゃと種を舌の上で餞別して吐き出した。

メロンは気温26、7度くらい、西瓜は30度を超えて好まれるという。
30度にまであがると体は糖度より水分を要求するらしい。
原産地のアフリカでは何の味もないものだったが、明治以降改良された品種が渡ってくるようになって今のような甘さが加わったと新聞で知ったばかり。
おかげで今では甘さに当たり外れのない西瓜がいただけるというわけだ。

緑のカーテン織りそめる

苦瓜をかみて潮騒はるかにも

初生りのゴーヤを収穫。

さっそくチャンプルーで秋を真っ先にいただく。
最初の実だから小ぶりの内に収穫だが、たいして苦味もなく歯ごたえもさくさく。
暑さはこれからだが、この季節の食べ物だから体に悪いわけはない。きっと夏バテ防止なる効果もあるに違いない。
海無し県で苦瓜の故郷の南の海に思いをはせる。

自然のリズム

電線に数を増しゆく帰燕かな

びっくりした。

一陣といっていいくらい早い帰燕である。
明日からいよいよ本格的な梅雨入りするというその日の昼、突然数羽が隣の更地の上を旋回はじめたのだ。数にして10羽くらいだろうか。二三年前にも、その時は早朝だったが、やはり十数羽の燕が電線に群れてせわしく旋回していたのを目撃したことがある。
翌日には街からすっかり姿を消して、あれが帰燕グループの集合だったのだと知る。
そして、塒入りで有名な平城京にでも向かうのだろうか。
なにせピーク時には数万羽が集まっては、次から次へ南へ帰って行くというから。
今回も明日からは姿を消してしまうことだろう。それが合っていれば帰燕第一号ということになる。夏はまだ中盤というところで、「帰燕」はもちろん秋の季題だが、自然のリズムというものはそういうものなのだ。

法隆寺西円堂へ

斑鳩の堂宇みな寂び金鈴子

今日も寒かった。

斑鳩はときおり修学旅行生もくるが観光客はまばらである。
西の端っこの西円堂はもっと閑散としている。

法隆寺の東院西院を巡って裏手に回ると、法輪寺前には大きな栴檀の木。葉っぱもみな落ちて、栴檀の金色の実が鈴生りで、斑鳩の錆色とは好対照。
俳句も今日はちょっとさぶい。

熟したか

山茱萸の粒の光りの魚卵めく

これから年を越えてもしばらくは山茱萸の実を楽しめる。

鳥たちが手を出すのはもう春に近くなってからなので、いまは全く熟してはいないのだと思う。
実際に囓ってみればすぐ分かることだが、何となく青臭い味、匂いが口の中に残るような気がして手が出せないでいる。
すでにいくつかは道にも落ちているので、今年は意外に熟すのが早い気もするが、もう少し待ってみようと思う。

下り坂

草原に人より多く羊雲

この雲が現れると天気の下り坂だそうである。

西の大和川河口方面から、羊雲がどんどん流れてくる。
10月の陽気だというので、多くの人が散歩を楽しんでいるが、空はどこまでも羊の群れに覆われているようだ。

鳥の冬備え

えごの実を好みて寄れる命かな

名前の通り、食べてもえぐい。

鳥とか蝶とか、特定の食べ物を好むのがいるのも生物の多様さである。
えごのきの実を好んで食べるのはヤマガラである。
市街地ではちょっと見かけないが、いなかの森や林ではごく普通に見られる鳥である。大きさは雀ほど。
かなりの木はすっかり裸になってしまっあが、日当たりなどの条件の差だろうか、まだたっぷり実をぶら下げたえごのきを見ることができる。
ちょっと離れて見ていると、ヤマガラがやってきては実を失敬してどこかへせっせと運ぶ姿が見られる。
冬のために集めているのだ。
ヤマガラの冬備えである。