百年時代

延命措置互ひに拒み生身魂

昔は七十歳と言えば、もう立派な生身魂。

子規に、

生身魂七十と申し達者なり

という句にあるようにおそらくそれこそ「古稀」であったのだろう。
百年時代といわれるいま、爺婆そろって元気は何よりだが、おたがいに延命措置は望まぬことを話し合っている昨今である。

香良洲の梨

梨送ると義姉の電話の声の艶

滅多にかけないし、かかってこない電話。

世間とも距離をおいているので、毎日静かなものである。
今朝の新聞にも、還暦ともなれば友人関係も断捨離して誰にも気兼ねない人生をという記事があった。
手始めは年賀状からとあったが、それはもう古稀を機に会社関係を中心に大幅に減らした。
逆に増えているのが俳句関係であるが、これも好きな俳句を続けるための身過ぎである。
本当の意味での人間関係の断捨離などほど遠いわけであるが、それもまた浮き世。渡世である。
夫を早くに亡くし、兄の介護におわれる義姉だが、いつもの元気な声に安心する。
櫛田川河口の香良洲特産のりっぱな梨が今年も届いた。

果てしなき闘い

エレベーター見知らぬ人と秋暑し

朝のうちに回覧板を回すといってもやはり暑い。

宅配で届く荷だって中までむんむんと熱い。
台風の余波なのか風も熱風で、西日を避けるための葭簀もその熱い風ですぐ倒されてまったく役に立たない。この分では毎日残暑の句が生まれそうだ。
炎帝との闘いはいつまで続くのか。

甘酢がうまい

窮屈な鉢にのぞける花茗荷

ちょっと気がつかないうちに、いくつも花が咲いている。

花になる前の茗荷の子もどっさり。
プラの鉢がはちきれそうに株が増えて、今年は大豊作だ。
両手に余る花茗荷、茗荷の子を摘んでもどると家人は甘酢に漬けて食べるという。
胡瓜と並んで、茗荷の甘酢がさっぱりして食が進む。
と言っても、昼は素麺が多いのだが。
そういう意味では、食はまだまだ夏のものだ。

語り継ぐということ

どこまでも空煌煌と長崎忌

町の有線から鐘の音が聞こえて黙祷をうながした。

今日は長崎忌。
広島の場合は真っ青に晴れていたと言うが、長崎ではどうだったのであろうか。
あの青い空が白くなるほど光って、一瞬にして何もかもが破壊された。
当時の写真、描画、証言はどれもが貴重な記録遺産そして記憶遺産。
ながく語り継がれねばならない。

風の夜

風孕む夜気にもふれよ秋の立つ

エアコンのおよばないはずの廊下が意外に暑くない。

昨日までは部屋を出るとむっとする熱気に包まれていたのが、嘘のようにからっとしている。と言っても、相対的なという意味で、平年を大幅に上回る異常な暑さには変わらない。
この二、三日、高気圧の中心がだんだん当地を離れている予感があって、この分では夜涼を味わえるのも近いと期待していたのがずばり的中した。
夕方いつものように水を撒きに外へ出たら風があり、しかも涼しい風だ。
久しぶりに風を体感する宵だ。

それにしても暦というのはよくできている。涼しさのレベルは遠いがこれもいまどきの秋であろう。

3Lサイズ

大きくてけれど緻密に伊那の桃

7月になると毎年大きな桃がとどく。

しかし、悪天候のせいで今年の出来はもうひとつで8月にずれこんだうえ、早く食べろと言う。
ふたり暮らしには申し訳ないほど多くて腐らせるわけにはいかず、ひとり一個の大盤振る舞い。
さすが、3Lサイズというか、大型の桃はひとりで食うには途中で休憩をはさむしかなく、おたがい顔を見合わせては腹をさする。
プチぜいたくな、そしてささやかな時間がいとしい。