環濠集落

古町の暖簾括れる日永かな

中世から江戸期にかけて栄えた環濠集落の町・今井町で句会吟行があった。

満開の飛鳥川

駅を降りるともう花、花、花。
飛鳥川の両岸は川を覆いつくすほど満開。

今井町入り口の榎
おまけに、町の入り口では魔除けとされる樹齢400年を超える榎が新芽を吹いて迎えてくれる。
真宗の寺内町として興され信長にも抵抗したが、その後降伏ののちは商業に活路を見いだし、やがて大名貸しなどによってたいそう栄えた環濠集落全体が国の歴史的建造物保存地区に指定されており、多くの建物が重文となっている。今井の町家は決して華美ではないものの、厳しい町掟の枠で許される様々な意匠をこらした設えに特徴がある。

それだけに句材はいろいろあったのだが、ものにすることは難しいものだ。五句提出はクリアしたものの、今日も己の実力を認識する会となってしまった。じっくりブログで句にしていきたいと考えている。

寝釈迦

葛城の寝釈迦なぞれり秋津島

阿波野青畝の句が好きだ。

青畝は高取町出身で代表作に「葛城の山懐に寝釈迦かな」があるが、この句碑が句会会場の裏手にあるというので取りも直さず拝見となった。この場所に立ってみると金剛、葛城の山が真向かいに見え、なるほど葛城の山容をなぞってみると釈迦の涅槃像のようにも見える。難聴で終生悩んだ青畝にとっては残った感覚の視覚、嗅覚などが作句のより所であったと思うが、まさしくここから見える光景こそ幼少時代から見慣れていた葛城の姿であり、青畝だから詠めた句ではないかと思えるのだった。

この日は、葛城も金剛もシルエットだけしか見えない。昼霞がすべてを覆って神武が国見をしたという春の秋津島が茫洋と広がっている。

今日は東日本大震災から二年、もうというかまだというか。

山人は海地震(なゐ)知らず三一一忌

当地の人に2年前のことを聞いてもあまり切迫感がないような反応が多い。この地が地震に襲われて他国に通じる僅かな道がすべて崩壊してしまったら、救援しようにも数日は入れない状況になるのが見えているのだけど。

大和の薬売り

草の名をまた習ひけり鳥曇

高取町は昔から薬の町である。

7世紀初め推古天皇がこのあたりで薬狩りを行ったというから、昔から薬草などが豊富な土地だったのだろう。その後も修験者によって「大和売薬」が各地に広がり、江戸時代には置薬として行商が始まったというほど隆盛を誇った。
今でも町には10社あまりの製薬会社があるし、昔ながらの店構えで漢方薬を扱う店があったりする。
何よりも、土佐街道にはゲンノショウコ、ドクダミなどいろいろな薬草の絵を焼いたタイルが10メートルおきくらいに敷設されているので、町に一歩足を踏み入れた途端ここは薬の町だということが知れるのだった。

折り目

雛衣の色褪せしける旧家かな

古代雛ともなると日焼けし色褪せもしてくる。

それでも、何代にもわたって受け継がれてきた家の歴史を誇るように、毎年毎年雛を飾るのである。武家であったろう家には雛の間に鎧兜も、刀や槍、長刀などもあろうし、商家には商いの品々もあろう。
何百年と続いた城下町に住む人たち自身も、あらためて我が町の歴史に思いをいたし我が町を愛しむのだ。

色褪せたりといえど、雛の衣は折目正しく緊張を保っているのである。

竹取物語

ものがたりここに発せり竹雛

竹を割って節の間から顔を出した雛もある。

あるいは簀玉(すだま)びなと言って、一本の竹を細かく割いて丸く編んだ雛を隠れ部屋への階段にひっそりと展示してくれる珍しい趣向の家もある。

諸説によると、高取はその昔翁が住んでいた場所で、「竹取」は「タカトリ」とも読み高取山が竹取説話の舞台であるという。真偽のほどはともかく、このような説をちゃっかり地元PRにも用いるしたたかさが町にはあり、町の人たちの意気込みも十分感じ取れるというものだ。

そう言えば通りには青竹踏みを売る店もあり、このあたりには竹林が多いのかもしれん。

七つの心得

肩越しにめでる雛や連子窓

土佐街道には「まちなみ作法七つの心得」と言って、古い町並みを維持するためのいわば景観維持協定のようなものがあるようだ。

その一つが道路に面した窓には連子格子などを用いることという決まりがあって、町の表情に一定のリズムを与えている。
雛巡りは玄関の土間から座敷を拝見するのが多いのだが、なかには道路側の連子窓から見せていただく趣向の家もある。グループでぶらぶら歩きしたりすると、いきおいみんなが同時に狭い窓の中をのぞき込むことになるので仲間の肩越しに見るということになる。
さらにこうした場合説明してくれる立会人もいないので、雛のいわれが書かれた小さな「謂書」を読もうとさらに首を前へ突き出しては窮屈な姿勢を強いられることになったりもしたり。

町家の古雛

このようにして、百近くもある町家の雛飾りをひとつひとつ巡っていると春の一日はたちまち過ぎてゆく。

土佐街道

信号のながい坂みち古雛

昨日は高取町の「町家のひなめぐり」で吟行会があった。

奈良盆地の南端最奥部、電車で行けば近鉄吉野線で飛鳥の次の駅「壷阪山」で降りると、すぐにかつての高取城城下町を東西に貫く「土佐街道」と呼ばれる町家の家並みが続く。「町家のひなめぐり」とはこの街道に沿って各町家で披露されている古雛を訪ね歩くイベントで、今年で7回目になるそうである。
一方、高取城というのは日本最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられる(Wikipedia)。当時の城郭を再現したイメージ写真をみると、たしかにスケールにおいてもなかなかのものであり、今は城跡しか残されてないがそこを巡って飛鳥へ抜けるハイキングなどファンは多いと聞く。
町並みの名「土佐」のいわれは、何でも6世紀初め都の造築にあたって土佐から連れてこられた使役人夫が帰ることができなくなってこのあたりに居を構えて棲みついたんだとか。何とも古い時代の話で、すぐ隣接する飛鳥が帰化人たちの土地だったという話と合わせて、あとから都に来たものが盆地の中で残った土地をよすがとし、さらに都がふくらんでゆく話というのは実に面白いものだと思う。

掲句だが、駅を降りたあと吉野へ通じるR169を越えるとき歩行者用押しボタンを押して渡るのだが、これが結構長い時間信号が変わらないのだ。しばらく待たされてから、ようやく山城に続くゆるい上り坂の雛巡りが許される。

明日からは高取を句材にしたものをいくつか披露していく予定。

追)浪曲の「壺阪霊験記」で有名な壺阪寺もあります。