雀隠れ

すずめのてつぱうまたはげんげの飛鳥かな
紫雲英田のきぎす隠れの飛鳥かな

久しぶりに飛鳥散策。

いつもの公園が駐車待ちするほどの大混雑で、飛鳥の晩春もいいかと足を伸ばしたのである。
まずは飛鳥寺の桜吹雪に打たれ、万葉文化館周辺を散策。
田の半分くらいはレンゲが咲き乱れ、もしくは雀の鉄砲が風に靡いている。
甲高いというか、やや低めだったか野太い雉子の雄の一声に振り向くと、すっぽり隠れるくらいに高く伸びた紫雲英田にちらちら動くものがおる。雀隠れと言うよりは雉子隠れと言ってもよさそうだ。
見渡しても田に出ている村人は一人もなく、飛鳥の田が動き出すのはまだしばらく先と見ゆる。その間は雉子君も安心して逍遥を愉しむことができるというわけだ。

窮屈

襟爪をはずして帰る入学子

小1と中1。

6年の差は歴然である。
たまたま今日は地元小中学の入学式で、それぞれ式を終えて行き交ふようにして同時刻に帰ってくる。
小一は両親あるいは父母どちらかが同伴なのは当然だが、ガラガラのランドセルが乾いた音で過ぎてゆくのがかわいらしい。教科書はいつ配られるのだろうか。いっぽう、あるお父さんなどは最近流行りのリュック型バッグを背負っていて、入学式に何で?を通り越して微笑ましいシーンである。
中学のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちは友だち同士連れ合って帰ってきたが、くっきり校章を染め抜いた真新しい背負い鞄、セーラーの白いスカーフが初々しい。手がすっぽり隠れるほど長いシャツの袖が制服からはみ出しているなどは愛嬌である。
それにしても、あの詰め襟の制服というのはなんと息の長いものであることか。首はおろか脇までも自由がきかなくて、いまだに中学生というのが窮屈なものであることを再認識させられた。
何万円もするブランド制服というのもいかがなものかと思うが、昭和がもうずいぶん遠くになったことだしもっとイージーな制服あるいは服装というものがあっていい。

冬タイヤ

花冷の雨のしみこむ傘の骨

雪のところもあれば真夏日のところも。

列島の北は震えて桜どころではないかもしれない。金子兜太の
人体冷えて東北白い花盛り
を思い起こすような天気だ。
当地は雪にこそならないが朝から冷たい雨。鉢物を外へ出した直後だから、連中には悪いことをしてしまったようで申し訳ないことだ。
冬タイヤはもう少し履いていようと思う。

仏生会

金銅の杓の細きに甘茶仏

法隆寺の甘茶仏は伽藍の大きさにくらべてほんとに小さい。

花籠に埋もれてしまうくらい小さいのである。
そのせいか甘茶をそそぐ杓も金銅でこれくらいないと言うくらい小さい。柄も細くて、甘茶をすくうにはていねいな扱いが必要になる。
杓が小さいので一回分の量とてしれていて、多くの人がそそいでも灌仏盤があふれる心配はなさそうである。
法隆寺の甘茶仏は左手が天をさす珍しいものであった。

立会人

死票を無言で投ず花の昼

知事と県会議員選挙の日。

投票所入り口の満開の花とはうらはらに、投票所は閑古鳥。われら夫婦以外は役所の人間と立会人だけ。
花の日曜日と重なったことよりも、全政党が推薦の知事選とただでさえ指定席の定員減の県議選では闘う前に結果が見えてる選挙とあっては白けるのも当然であろう。
せめての意志を投票箱に放り込まんとするとき、パイプ椅子の立会人ふたりと目があった。

燕の季節

川幅のかぎり猟場につばくらめ

大和川の川幅いっぱいに燕が飛んでいる。

不思議なことに堤防をはみ出しては飛ばないようだ。
今のところは川や河原には餌になる虫がいるのだろう。
住宅地に入ってくるのはこれからだろう。