月替はり木の芽起こしの雨なりけり
ここ数日の雨で景色がすっかり変わったようだ。
土は黒さをまし、木々の芽はさらにふくらんで芽ぐみを待つばかりの様相を呈してきた。
春を実感するも移ろいやすい天気が続くこの時期は、「木の芽時」とも言われ体調には変調をきたしやすいと言われている。
できるだけ変動の影響を受けないよう、暮らしのリズムを守りたいものである。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
月替はり木の芽起こしの雨なりけり
ここ数日の雨で景色がすっかり変わったようだ。
土は黒さをまし、木々の芽はさらにふくらんで芽ぐみを待つばかりの様相を呈してきた。
春を実感するも移ろいやすい天気が続くこの時期は、「木の芽時」とも言われ体調には変調をきたしやすいと言われている。
できるだけ変動の影響を受けないよう、暮らしのリズムを守りたいものである。
啓蟄の雨に凍ゆる日なりけり
今日は啓蟄だが、雨で寒い一日となった。
すでに野では蛙の声も聞かれたが、こう寒くては餌となる虫も少なく本格的な活動の日は遠のくばかりであろう。
人間とて同じで、こう雨が多くては予定していたものも思うに任せず気ばかり焦りもどかしいことである。
ここのところ句会の成績もぱっとせず、雨をさいわいに次回の題に相対して作っては消し、書いては消しの一日を過ごした。
即吟も大事だが、このようにいちどいくつか詠んでみると次の日にはまたあらたな角度へと広がることも多く、何とか形になるものが見えてくるときがある。
目指せ五千句も質を問われれば限りなく先のことではあるが、まづは十三年ここまで続けて来れたことをもっておのれを慰めているのである。
ちらし寿司でて知る桃の節句かな
昨日はめずらしくちらし寿司が食卓にのった。
そのときはなぜちらし寿司なのか考えようともせず平らげたのだが、どうやらそのことは家人には申し訳ないことをしたようである。
家人が何も言わないものだから、夕食後風呂に浸かっていてようやく桃の節句であることに気づいたのである。その辺りはどうにも鈍くていけない。風呂をでてそのことを話すと黙って聞いてくれたのが救いであるが。
海老(長生き)、蓮根(見通しがよい)、錦糸卵(金運)とお約束のネタはしっかり入っていた。
爪楊枝二本使うて目刺かな
歯茎が衰えるとすきっ歯になるようだ。
そのせいで、いつの間にか楊枝の世話になることが多くなった。とともに、食卓の上には四六時中楊枝が置かれるようにもなった。
隙間が広がったので楊枝で簡単に取れることが多いのだが、それでもなかなか厄介なのが魚の小骨である。顎がはずれるのではないかと思うくらい大口開けては奥歯の裏と格闘する姿は、本人からすれば必死なのだが傍から見ていたら滑稽に映るにちがいない。
材料の木材も貴重になって高級な楊枝などふだん使いには買ってられないので、すぐに先がつぶれたり折れてしまったりで下手すると一本で済まないことがある。
目刺の骨程度ならそんなに格闘するほどでもないが、苦手なのがメバル、カレイなどの太くて固い骨。これらは下手すると歯に挟まる程度で済まないこともあって痛い思いもする。
白きもの眉をなでゆき冱返る
冷たい風にときおり雪が混じる一日。
まさに冬の真ん中に戻されたような日であった。
さいわい雨とはならなかったが、窓からさす日は弱い。
猫どもも固まるようにして寄り合い静かにしている。
予定では夏野菜の種まきの準備を考えていたのだが、この低温では管理が大変なので延期とした。
明日の朝はいちだんと冷え込む予想で零下二度だそうである。この冬はめずらしく外水栓が凍ることはなかったが、もしかすると薬缶の湯が必要となるかもしれない。いずれにしても今季一番の冷え込みとなるのは間違いない。
春塵に金剛山葛城山
( なかりけり
風が強いのにあたりが靄のようにかすんでいる。
黄砂とは言ってないから、土埃に加えて杉花粉がかき回されて大暴れしているのであろう。
ここ数年花粉アレルギー気味の症状がでており、くしゃみ連発、目をしばたたせ。
家に入る前には少しでも花粉の侵入を防ぐため、上着をぱたぱたはたいてみたり。
騒がしい春だが、今年の開花予想は24日だとか。しばらくあれこれと話題に困らない三月になりそうである。
そうそう、翔平君の奥さんをめぐってのこれまた巷の詮索、MLB開幕の韓国もまた騒がしいことであろう。
忌日また四年に一度二月尽
朝から運転免許証発行ができないトラブルがあったそうな。
うるうの処理のバグが原因という発表だが、金融システムとちがってとりあえず有効期間の延長で回避する程度で済んで、不幸中の幸いというべきか。
かく言う私めも、プライベートで楽しんでいるウェブ句会の当月締め切り日をうっかり28日に設定してしまったことで、句友には大変迷惑をかけてしまったのでおおきな顔はできない。
出生届には今月の29日生まれを嫌って前後の日を書き込むことがあると聞くが、死亡届にはそういう話しは聞かない。其角などは旧暦2月30日であったそうだが、当時はうるうなどという概念はなく今となってはいつをもって忌日としているのだろうか。