大鯉のくぐりし浮巣ほどけさう
ばらけると見えて浮巣の安普請
こんなところにと思うような場所に浮巣を見つけた。
ちょっとしたさざ波にも小刻みに揺れているが、鯉が突き上げるように通り抜けると大きく上下に振れた。
巣作りの途上なのか雑な作りで、親も卵も見当たらなかったが。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
大鯉のくぐりし浮巣ほどけさう
ばらけると見えて浮巣の安普請
こんなところにと思うような場所に浮巣を見つけた。
ちょっとしたさざ波にも小刻みに揺れているが、鯉が突き上げるように通り抜けると大きく上下に振れた。
巣作りの途上なのか雑な作りで、親も卵も見当たらなかったが。
芝生野に捩花避けて腹這ひぬ
捩花のあらかた踏まれゐし野道
捩花の錐揉む先のつぼみかな
捩花というのは一回踏まれてしまうと弱いものらしい。
茎と言うよりは錐の穂先に当たるのかもしれないが、途中で折れてしまったらその先は枯れてしまうようである。
ただでさえ短い命で、花が終わってしまうと何処にいたのかさえ分からなくなるような、雑草というには気の毒なくらいな儚げなので、見つけたら注意しているのだが。
ただ、このようにか弱く見えても、次の年にはまた顔を出して錐を伸ばしてくれるあたりは雑草の仲間に入れてもよさそうであるが。
五月闇歩き煙草の咎めなく
いらへずば誰何またある五月闇
本来は梅雨の夜の闇を言う。
実際に詠まれるのは夜とは限らず、昼間でもものが判別できないような暗さをイメージさせるならば可のようだ。
一見には食べられさうな梅雨茸
切株の回りにおびただしい茸が生えている。
スーパーで売られているパック十個分くらいもあろうか。
雨後の筍とは聞くが、梅雨晴れ間の、しかも大木が伐られてすっかり明るくなっている場所にあるとは。
形を見れば椎茸のように見えるし、色からしても特に毒々しさは感じられない。そう考えると、切株の木肌さえ椎や樫の仲間に見えてくる。
公園の周遊路脇にあるので、食べて問題ないなら誰かが採って帰りそうなものであるが、その形跡はなし。
最近は、知らずに触ったり食べるとひどい目に遭うという火焔茸なるものが生駒で発見。以来、関西各地で発見報告が相次いでいる。
触らぬ神に祟りなし。
火焔茸とは似てもいないが、眺めるだけにしておこう。
梅雨冷の膝を庇ひて百度踏む
梅雨冷の膝に百度をためらひぬ
太ったせいもあるんだろうか。
最近ときどき正座するときなど膝が痛くなることがある。
若い頃に痛めた膝が、このような梅雨時とか、季節の変わり目などに痛くなることがあったが、ここ数年は忘れてしまうほど感じなくなっていたのだが。
ちょっと運動に無理しただけでこの始末とは、いやはや情けない。
おかげでここ二三日は胡座の姿勢で心経を唱えさせてもらっている。
回覧板回し廻され梅雨じめり
枚数の多き回覧梅雨じめり
留守の間の封書葉書の梅雨じめり
状差のものみな垂れて梅雨湿り
鉛筆の細く削れず梅雨湿り
毎日毎日、梅雨がらみの句ばかり。
空気が乾いているということがどんなにいいことか。
この時期にいつも思うことである。
H以下の硬い鉛筆だって繊細に削れるし、紙のすべりもいい。
通勤のワイシャツだってしっかり糊の腰が残っているし。
梅雨で何が嫌だといったら、このワイシャツやズボンが湿って折り目が消えるどころか皺だらけのしどけない姿になることだった。
そんな湿気地獄からも解放された今は、一日中Tシャツでいられる幸せに浸っている。