おざなり

知らぬ間に十薬匂ふ庭ぞかし

つーんと強い匂いがする。

これは紛れもない十薬の匂い。
種を蒔いたとか、苗を植えたとかまったく身に覚えのないものだ。
隣地に家が建って半日日陰となり、しかも湿り気を帯びがちになったせいだと思う。
それにしても、条件が整えばちゃんと環境に適した種類の生物が生えてくる自然の営みには感心するばかりである。
おざなりのままにしておいた主のせいでもあるのだが。

雨の公園

雨粒のしづる鉄棒若葉冷

時間の経過とともにぐんぐん気温が下がってきた。

連休と言えど雨の公園には人影はみあたらず、遊具はどれもみな淋しそうである。
子供たちがぶら下がる鉄棒には雨粒が垂れるだけ。そこだけが光っている。

甦る

定刻に寝ては目覚めてゴールデンウィーク

連休だからといってふだんと何も変わらない。

ごく平穏な日々の連続である。
天気によって行動パターン、ルーチンに変化はあるものの基本は同じようなものである、
どちらかというと、天気が悪ければやりたいこともできなくなることもあって時間が余りがちで、うたた寝というよりしっかりめの昼寝になる傾向がある。リズムで言えば後者は夜の眠りが浅くなりがちなので避けたいところだが、あまり自分を叱らない方がストレスもなくて大事だと思うので成り行きに任せてはいるが。
秋に蒔いた菊菜の一生をまっとうさせてやりたくて、刈らずにおいたのが薹立ちして花をつけてきた。その名の通り菊そのものの形で感動ものである。同じ種からでもぼかしが入ったもの、色が黄みがかったり橙がかったり、花片の枚数もみんな同じではなく。それぞれが違ってまたいい。仏壇に供えようと何本か剪ってきて、バケツで給水させたところ剪られたときはしんなりとしてきたのが生き生きと甦ってきた。愛しいものである。

樹形

降りさうな風の来てゐる若楓

おざなりの鉢の楓の若葉がまぶしい。

住宅メーカーにもらった苗から育てて十年ほど。地植えのものの種が芽生えたので鉢で育てたものだ。親の樹はあまり背が高くならぬよう毎年切り下げてきたが、それでもいつの間にか見上げるほどの高さに成長してきて、素人なりに悪くない樹形である。
両者とも今は滴るような若葉がしっかりひろげてきて、少しの風にもゆれて目を和ませてくれる。
午後に雨となって、またいちだんと瑞々しさが加わったようだ。

品種改良

夏蜜柑ときに妥協の甘さかな

最近の柑橘類は甘い。

とくに感じるのが、八朔、夏蜜柑の類いである。
両者とも酸っぱさからは免れなかったのが特徴で、子供の頃はあまり好きではなくそれが大人になっても手を出しそびれる要因にもなっていた。
ところが、ここ何年か知人の手になる八朔、夏蜜柑をいただいて、それまでの固定観念ががらりと打ち破られたのである。
上品な酸っぱさは残したままでいて、甘くてうまさがあり食べやすい。
とくに夏蜜柑などはただ酸っぱさが舌を刺激していたのが嘘のように、まるまる一個をぺろりといただけるほどうまい。これは、きっと海外のオレンジや国内のさまざまな甘い柑橘に負けまいと、関係者が長年品種改良に取り組んできた成果ではないかと思うのだがどうだろうか。夏蜜柑は酸っぱいものだと突っ張ってばかりいては生き残れないと、自ら折れたのかもしれない。
午後のデザートに、ソフトボールほどの大きさの夏蜜柑を一個ずついただく毎日である。

入職

制服の板につきもし花は葉に

この春入職したと思われる若者が朝夕通る。

通勤はブレザー、髪は短くあるいは長いのは束ねると決まっているらしく、清潔感が見る目にもここちいい。
住宅地の先には大きな介護付き病院があって、おそらくそこの職員だと思われる。
職員の数も多くて毎年何人もの新人が入職するだろうから、この季節は決まった時刻にフレッシュな顔ぶれが通るのはいいものである。

たじろぐ

青深み梳かねばならず梅若葉

夏日が続く。

桜に浮かれていたのは数日前のこと。
庭の木に弾みがついて梅も柿も若葉の候である。もはや春の季語などのんびりと詠んでる場合ではなさそうである。
とりわけ早梅の枝などは茂り出してきて、早く剪定してやらねば梅雨時には蒸れて虫が湧きそうである。
それにしても急な暑さに日中の外での作業にはたたじろんでしまう。