いさぎよく繊六本の大根汁
大根だけの汁。
これがうまいのである。
旬とはよく言ったもので、今の大根はどんな料理でも文句なしにうまい。
ともすると、旬という感覚さえ日常生活から失われようとする今、旬のサイクルにしたがったライフスタイルこそ見直されていい。
夏の野菜は体を冷やし、冬の野菜は体を温める。
今晩は風呂吹だったが、大根がかくれるくらいのたっぷりの味噌に躊躇したが、ちゃんと塩分を考えたうえでのことだろうと、こぼれようとする味噌もすくってきれいにいただくことができた。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
いさぎよく繊六本の大根汁
大根だけの汁。
これがうまいのである。
旬とはよく言ったもので、今の大根はどんな料理でも文句なしにうまい。
ともすると、旬という感覚さえ日常生活から失われようとする今、旬のサイクルにしたがったライフスタイルこそ見直されていい。
夏の野菜は体を冷やし、冬の野菜は体を温める。
今晩は風呂吹だったが、大根がかくれるくらいのたっぷりの味噌に躊躇したが、ちゃんと塩分を考えたうえでのことだろうと、こぼれようとする味噌もすくってきれいにいただくことができた。
栄養指導受けて雑炊具たくさん
野菜づくしの雑炊。
塩分過多の要因は朝はパン、昼は麺類の食生活ゆえんだと栄養指導で指摘された。
とくに麺中心の昼を考え直せと。米は二人で日に米一合炊くだけとなっており、この小麦粉との比率を見直した方がいいと。
寒いときの昼はうどんやラーメンが暖まっていいので定番なのだが、さっそく初日の今日は雑炊である。
具がたくさん入っていいるとなかなか冷めないのがいい。おかげでうどん同様体が暖まった。
具の中でも大根が一番うまいと思った。
二重窓挟んで吾と雪蛍
今年最初の綿虫を見た。
朝、いつも通り猫たちのブラッシングをしていると、窓の外をふわふわ行き来している。
雨が止んでも雲が厚く、どんよりとした日のせいか、今日はもっぱら低いところを浮遊しているようだ。
目をこらすと、一匹だけなく何匹かいるようだ。
外へ出てみても気温せいぜい13度しか上がらないくらい低い。
いよいよ冬の感を強くする朝だった。
柊の咲いて下枝にあまりなく
蕾の最初の頃は薄緑である。
これが徐々に白味をおびてきて、やがてゆっくりと花開く。
冬の花の習いなのか、蕾から散るまでのそのテンポのゆったりがまたいい。
散るのもあわただしくなく、じっくり花を楽しませてからである。
木犀科らしいが、金木犀とは好対照に長い期間花や香りを楽しませてくれるのだ。
去年だったか、透かし剪定したら各枝に光りが行きとどいたのであろう、上枝はむろん下枝にまで花がびっしりとつけた。
毎朝脇を通り抜けるたび、控え目ながら品のいい香りを胸いっぱいに吸い込むのが日課となっている。
あと一週間ほどは楽しめそうだ。
柄の痩せし斧なだめては冬構
間伐材寄進のありて冬構
薪ストーブは暖かいらしい。
その暖かさは朝まで持続するくらいだと言うから驚きだ。
ストーブで煮炊きもできるし、薬缶に湯を沸かせば、室内の湿度を保つに効果大きいし、それがまた皮膚感覚として暖かくも感じるものだ。
ただし、そのためには重労働の薪割り、薪積みは欠かせないし、忙しい現代人にとっては憧れではあっても二の足を踏んでしまうのである。
スウィッチひとつで床暖、エアコンが自在に動く快適さもまた捨てきれない。
短日や小屋に口籠もるご神鶏
室生無山(むやま)の西光寺の樹齢450年の銀杏が見事だというので午後から出かけた。
山の中腹にあるので、駐車場から坂を登るとそびえるように大銀杏が黄葉している。
半ばは散ったとみられ、境内への石段、境内、築地塀にはびっしり落ち葉が敷いている。
南天にも降り積もって、赤と黄のコントラストが美しい。
周囲を見渡すと、見事な雑木紅葉の山が視界を占める。このあたりは植林をしない山がほとんどなので、里は紅葉紅葉の世界に包まれている。
網膜の神経が赤と黄に麻痺したかと思うほど堪能したついで、市の木ともなっている天理の銀杏並木を見てみようということになった。10年ほど前から、かつて強剪定を続けてすっかり樹勢が弱ったのをあらため、間引き剪定に切り替えたら見事に復活したということだった。すでに4時を廻っていたが、せっかく天理に来たので最後は石上神宮へ。家人に神鶏の烏骨鶏などを見せるためだが、普段なら境内を闊歩しているのが見当たらない。
声のする方へ行ってみると、すでに鶏舎におさまったあとで、暗くなった小屋の中にうごめく影がある。夜はおとなしく保護されているようだ。
終日曇りでただでさえ日暮れが早く感じるのにくわえ、鬱蒼とした参道、境内には灯籠に灯が点り、参拝客はもうまばら。
日は二上山よりずっと南に沈み、初冬の趣きを濃くする夕刻である。