両眼を結ぶライン

こめかみとふ視野の外なる蚊の狙ひ

今年はどういうわけか両眼を結ぶラインが狙われる。

耳たぶ、こめかみ、まぶた。どれも左右である。
人間の弱い部分を狙うと言うから、両目に衰えがきているのかもしれない。皮膚が柔らかい部分なのでかゆみが強い。ついかきむしっては傷跡を作っている。一回刺されると同じところが何日も痒いのが憎たらしい。
庭で畑で。毎日のことだからとあきらめるわけにはいかない。さあ、どうすればいいか。

図体に似合わず

番犬の放し飼ひある薔薇籬

朝のうち大きな犬が庭に出てくる。

やたら人なつこくて、通る人へ向けて太い声で咆えるのが最初は驚くが、どうやら寄ってこいやとせがんでいるようでこれまた太い尻尾を盛んに振ってくる。しばらく傍に立ってやるとさらにまたいちだんと吠え立てる。
小さな子供ならばきっと驚いて逃げてしまうに違いないのだが、離れようとするとこちらの姿が見えなくなるまで「ひい〜ん」と甘えるように鳴くのも可愛い。

帰り仕度

きらきら星流し五月の集塵車

心地いい風が吹く朝。

いつもの九時になると風に乗って「きらきら星」のメロディが流れてくる。
町の収集車である。
作者が当町出身ということで、夏の夕方六時、冬は五時に子供たちへの帰ろうコールの曲ともなる。
畑にいると、近くの小学校から午後五時には唱歌「夕焼け小焼け」が流れてくる。それを聞きながら「子供が帰ったあとからは〜♪」と歌いながら爺婆はもう一仕事してから帰るかとなるのである。
すっかり日が伸びたのでうっかりすると「きらきら星」が聞こえてきて、慌てて帰り仕度を始めることも多いのだが。

リスク分散

玉葱の粒まちまちの軒端かな

半年かけて収穫にこぎつけた。

やってみるとけっこう難しいものだ。
病気との戦いだったり、それをクリアしたら今度は太る前の薹立ちに悩まされたり。
菜園を見渡してみると、こうしたトラブルを避けるためにか早採りができる、いわゆる極早生タイプが大半を占めているようである。
早生というのは保存が長く効かないというので、年明けまで保存可能という晩生にも挑戦してみたがなかなか難しいものだ。
リスク分散のために早生タイプも作ったのがようやく収穫となって軒先にぶら下がっている。

目論見

いびつなる形も愛でて苺摘む

苺栽培が初めてうまくいったようである。

これまで何度かプランターで挑戦したのだが、どれも虫、とりわけなめくじに食われてろくに育たなかったのである。
運良く畑では虫の害もなく、すくすく育ってくれて今月何回か収穫することに成功した。意外に甘くて、しかもどれも粒が大きくわれながらよくできたと思う。
苺苗というのは意外に高くて今年は数多くというわけにはいかなかったが、さいわい苺というのは実が終わるとクローンの株を多く産むのでこれを来年の苗に当てることができる。今年の成功体験に味をしめて来年は洗面器三杯分の収穫をもくろんでいるのだがさて。
苺は種から作るのではなくクローンからしかできない、素人は。種はあのぶつぶつ一個だけど、各県の農業試験場秘伝の交配だから同じような株は再現できないのである。

後の祭り

なめくじら弾くも爪の不調法

雨になると途端に姿を現す。

ここのところ苗の虫喰いが目立つのはこいつのせいだった。
昼間は隠れているが夜になると融通無碍にはいまわり食害をもたらすようだ。
苗をしまい込む段になってまだ小さいやつを見つけたのでその場ではじき飛ばそうとしたのだが、硬い爪の一撃をもってしても簡単にははがれない柔らかさと粘りけには舌を巻いてしまった。
こんなことなら、やはり常套手段としての割り箸をもってくるんだったと悔やむが後の祭り。
何度もなんども水道で洗わないとぬめりの感触がいつまでも去らないのだった。

うら悲し

黄菖蒲のそぼふる雨の畦にかな

涼風に恵まれた一日。

窓から入る風はむしろ肌寒くさえ感じる。午後からはときおり小雨がぽつりぽつりと降ったり止んだり。ひどくは降らないと踏んで遅れがちの農作業へ。とりあえず胡瓜やトマトのネットを張るだけの軽作業だけの予定だ。
主を失った田の畔に灯った黄菖蒲が目を引いた。雀の鉄砲におおわれ水も入らない田に添うような雨の菖蒲はうら悲しい。